第2回 オール読物推理小説新人賞決定発表(同時受賞)

歪んだ朝…西村京太郎 調布市仙川町二の十七の四→『華やかな殺意』2000.10 徳間書店トクマ・ノベルズ凶徒…

野上 竜 名古屋市千種区青柳町一の八
 驚きと喜び

 野上 竜 古びた漢方薬のように力ない既成宗教も、副作用の多い新薬のような新興宗教も、この行き詰った物質世界を訪問するには無力なようです。 

 そんな私の宗教への不満と期待を推理小説の形で現してみました。生まれて初めての投稿が入賞との報を受け、驚きと喜びの中から自分を取り戻すのに、まだ時間がかかりそうです。
[略歴] 本名 出口和明。昭和五年八月、故大本教主出口王仁三郎の孫として京都府綾部市に出生、五歳の時、大本教弾圧事件にあい、祖父母、父母、一族が入牢、祖父の予言どおりに敗戦を迎え、無罪となるので、逆賊の子と自ら信じていた。中学四年でくにを飛び出し、一年間、北国新聞の記者になり、二十七年、早大露文科入学。この間、授業をサボって演劇に熱中、五年で中退。人類愛善新聞記者、飲食店経営などののち、名古屋に転居。杉山女学園大学食堂主任として現在に至る。
選 評
工夫も独創的 

 はじめから「凶徒」を推した。新興宗教の内情がいきいきと描かれている。殊に教主がいい。多少、痴呆めいた無邪気ぶりが面白い。そのタワ言とも思える片言隻句を「神憑り」の神言として記録する熱狂信者と、教団の移転問題に一儲けをたくらむ功利的な信者との対照もよい。こういう「宗教」を舞台にした推理小説はまだなかったし、現るべくして現れたという感じである。 しかもチャンと本格ものになっている。工夫も独創的なものが多く見られる。これは長編の材料で、みっちん書き込んだら、見事なものになったに違いない。応募の資格上、短編にせざるを得なかったのが惜しまれる。 有馬、水上両氏の推した「歪んだ朝」もすぐれた描写だ。しかし、推理小説としてみた場合、骨格に弱さがあるのは否めない。審査員の意見が対立したため、二作が当選になったのは、本誌の英断で、よろこばしい。                  

     第二回「推理小説新人賞」受賞作

凶    徒

野上 竜   永田 力 画

1 

 新興宗教、すなお教の教団本部は、名古屋市千種区御殿山付近の東山山陵を背にした閑静な高台にあります。痩せた松林と水田ばかりのこの一帯は、最後の都市計画に沿って、大きな変貌を遂げたのです。 

 東山丘陵を走るドライブウェイの展望台からは、雄大な規模を誇るアパート群がはるかに見晴らせ、そのずっと手前に教団本部の建造物が見下せます。向かい合った丘に立つ敬愛女子大学の近代的なデラックス校舎に比べると、本部建造物の貧弱さが、一層際立って目に映ります。 

 すなお教の本部施設は、すなお会館を中心に、教祖館、奉仕寮が付属しています。すなお会館は、教団発足当時、財源の乏しいまま急造された二階建てのバラックで、ちょっと軍隊の兵舎を連想させます。会館には礼拝室、講座室、会議室、事務室などがあり、会館から廊下伝いに、独身奉仕者の起居する奉仕者寮へ行けます。 

 教祖館は、会館と離れて独立した粗末な平屋で、教祖様がここで日常をお過ごしになるのです。 

 わたしが教祖の谷本春啓様の御付きになったのは、あれは高校を卒業してのすぐの春ですから、年が明けて間なしで、はや五年になります。 高校時代のお転婆娘が、新興宗教の教祖様の御付き、などというと、お友達がみな吹き出します。

 でもわたしは、何よりの親孝行をしたつもりです。娘を教祖様のお傍にご奉仕させることが教団本部総務部長の父、小野寺一誠の強い念願だったのですから…。 

 お付き、といっても正式の職名は、内事室勤務…内事室の仕事は、教祖様の身の回りのお世話と教祖館のいっさいの事務で、長谷川さん、加藤さんという年配のご婦人といっしょに働いています。教祖様のお世話はほとんど若いわたしの役目です。 

 父は私を教祖室に寝泊まりさせ、帰宅することを許しません。親一人、娘一人だというのに、父はその娘まで教祖様に捧げる覚悟なのです。通いの家政婦と二人で、どんな味気ない暮らしかと思うと、父の希望とは言え、胸のいたむ思いがするのです。普通の親子は、父の職場の顔を知らない。私は総務部長としての父の顔しか知らず、家庭の父の顔を知らない…。 

 来春の教祖様のご生誕祭は、喜寿のお祝いを兼ねて、盛大に執行されるとか…。この五年間、身近にご奉仕させていただいた私には、一入の感慨があります。 

 教祖様はいつも「私は不老不死だわも…」といわれますが、何かこの頃、めっきりお年を召されたんじゃないかしら…。お体の衰えはもとより、前にいったことをすぐに忘れ、同じことを繰返しおっしゃるようになりました。これが耄碌(もうろく)というものでないかと、人間心に心配でならないのです。 

 そういえば父も七十になりました。気力こそ盛んでも、恐ろしいように痩せ、あれでよく教団総務部長激務が勤まります。市は霊界への生誕だと教えられていても、教祖様といい、父といい、愛する人たちが老いられることは、いいようもなく悲しいことです。
  教祖様の御居間には、炊事室から広縁を伝い、お正月準備の慌しさが、忍び寄ってきました。 教祖様は布団を幾重にも重ね、それに寄りかかって、ガラス戸越しに、ぼんやりと内庭を眺めていられました。 

 今朝、お顔を拭いてあげたばかりですが、もう目に目脂(めやに)がたまっています。拭こうとすると子供のようにむずかられ、とても手がかかります。お絞りを用意してお傍に近づくと、教祖様は思い出したようにおっしゃるのでした。

 「三七子(みなこ)さん、わしは朝飯、食べたきゃァ?…」

 「まァ、さっき召し上がったばかり…」

 「そうだったきゃえ。何を食べたや?」

 「半熟卵、おつゆ、お豆腐、それにお蜜柑だって…」

 「フーン、腹が減った。昼飯はまだきゃァ…?」

 「ええ。もう少しのご辛抱…サァ、お顔を拭きましょうね」 

 子供をあやすようにいうと、珍しく大人しく、汗班(しみ)の浮いた顔を、わたしの手にお任せになりました。でも涎(よだれ)の固まりかけた御口の周りを拭こうとすると、急にいやいやをなされ、心配そうな口吻(こうふん)で、仰るのでした。

「あのヨー、まっ黒な雲がヨー、教祖館の上になも、いっぴゃァ広がった夢を見てヨー」

「いつ、ご覧になって?」

「きのうだったかなァ…忘れちまった」

「黒雲って何かしら? …」

「黒雲はヨー、ウエハラだわ」

 ウエハラー わたしには思い当たることがありました。ウエハラとは、教団の本部事務局長、植原吉松さんのことじゃないかしら、と…。父がかつて、「植原君は教団の前途を過まらせる…」と心痛そうに語ったことを連想したのです。 

 教祖様が時々、謎のように洩らされるお言葉は、現実となって、如実に示されることがあるのです。信徒は、それを予言として、頭から信じ込んでいます。

 わたしもいつか、教祖様の予言を信じる一人になっていたのです。

「教祖様、黒雲は晴れないでしょうか?…」

「雲はヨ~、流れるわァ。いつぞは晴れる。そんだけど、どしゃぶりにならんうちに、はよ晴れてくれんと困るわ」「あの…、誰がその黒雲を追い払ってくれるのですか?」

「そりやァ、おみゃァさん、きまっている、雲には風だわ。風だァ、風だァ…」

 濁った眼を半眼にし、上半身をゆらゆらさせ、唄うように仰いました。

 私は、教祖様のお言葉を、わたしなりに解いたつもりでした。ウエハラは事務局長の植原吉松さん、風は宣教部次長の風間審治さん…。 

 私が考えこんでいると、教祖様は大きな欠伸(あくび)をされました。

 「ちょっと休ませてんか。昼飯まで寝させてちょ」 

 教祖様のお体に手をかけ、そっと横にすると、すぐに黒ずんだ瞼が閉じられました。教祖様は厚い唇を開き、たわいもなく高鼾(いびき)をかかれるのでした。 ちっちゃな萎びた体に、お猿さんのような顔…この教祖様が、数千の信徒に神のように慕われていらっしゃるのです。
  七年前の夏まで、教祖様は、学歴も資産もない、あまりぱっとしない画商だったそうです。 ある暑い日盛り、N画伯を商用で訪問され、それから栄町のある画廊に立ち寄られました。原水爆禁止の平和行進に出会われたのは、その画廊を出てすぐのことです。

「行進に、一歩でも二歩でも、参加しましょう!」 

 メガホンを持った青年が先頭に立ち、行進は数十人にふくれあがっていました。教祖様は、吸い込まれるように、行進の後尾につかれたのです。 教祖様は三人のお子様を戦争で失い、奥様と二人きりの侘しい暮らしをなさっていました。これまで、お子様を奪った戦争を憎んではいられても、平和を守ろう、という積極的なお気持ちはなかったのです。それが、自分でも無意識のうちに、行進に加わっていられました。

 やがて教祖様の後にも、幾人かの人が続きました。教祖様の前には、買い物袋を持つ母親に手を引かれた、お下髪の少女がいました。教祖様は、少女の薄汚れたゴム靴に、歩道を合わせようとなさいました。ゴム靴はとても気まぐれで、急に停止したり、急に飛び跳ねたりして、教祖様をまごつかせました。教祖様はこの無邪気なゲームに、無心に熱中されていたのです。 突然、光の矢が心臓に突き刺さり、教祖様の小柄な老躯は、焼けたアスファルトの上に伏したのでした。

 教祖様は近くの救急病院にかつぎこまれました。 教祖様は、意識を失っているうちに、どんな名画も光芒を失うほどの、素晴らしい光景を見られたのでした。あらゆる動植物や、石や土くれまでが陸離(りくり)とした光彩を放ち、甘美なリズムで踊り跳ねていたのです。これが法悦といわれるものでしょうか。

「神の前にすなおであった時、平和の具象化を神から顕示された」

と教祖様は説明なさっていますが、医者は意識を失っている教祖様の目から滂沱(ぼうだ)と涙が流れるのをみて、小首をかしげたそうです。 老画商、谷本春啓に新しい人生が開けたのです。

 教祖様は、その後しばしば幻想を見、幻聴を聞き、次第に神憑(かみかがり)的風貌を備えて来られました。教祖様は世界平和のための特別使命を授けられたと信じ、近隣に説いて回られたそうです。

「谷本さんは神さんぼけで、気が狂った」

 近所の人はそう噂しました。長年連れ添った奥様までが呆れて家出し、実妹の家に転げ込んでいられます。家出された奥様はまもなく病没されていますが、誰も教祖様に知らせてあげなかったそうです。

  信徒ができだしたのは、教祖様が病気直しを始められたからです。患部に掌を置いて何事かを念じられると、感謝は不思議に治癒します。一種の精神療法でしょうが、光の矢が掌から放射し、病毒を退散させる、と教団は説明しています。ともかく、教祖様が霊験を示されるごとに、面白いように信者はふえていったのです。 

 当時の信徒の大部分がおかげ信心なのは、その入信経路から見て当然といえましょう。でも教祖様の念願は、世界の澄みきり澄みきる平和の招来で、病気なおしが本意ではなかったはずです。手段として利用されたのではないでしょうか。 

 もしここに、わたしの父、小野寺一誠と植原吉松さんが入信しなければ、すなお教は、単に病気なおしの集団で終わり、今日の教団の教義も組織もなかったろうといわれています。 

 父、小野寺の入信動機は、教祖様の強い平和思想に感銘したからで、現在でも信徒のお蔭信心を軽蔑しています。教祖様は、初めて自分の思想の共鳴者を父に見いだされたのです。 

 父は、元海軍少佐で、その一徹な性格から、さぞ職務に忠実な模範的軍人であったことでしょう。それだけに敗戦のショックは大きく、生きる指針を失って、長く虚脱した状態が続きました。その父を蘇生させてくださったのが教祖様でした。 

 教祖様の啓示は、父にとって、軍人勅諭以上の効能があったのです。戦時中、現人神と言われた天皇のもとに大東亜共栄圏を夢見た父が、今度は不滅の神のもとに澄みきり澄みきる平和実現の大理想を与えられたのです。世界の君臨者に教祖間を想定し、父が奮い立ったのはいうまでもありません。 

 教祖様の啓示は、まことに示唆に富んでいましたが、非論理的な点が多く、時に矛盾に見えるふしもありました。その啓示を体系づけ、理論化し、教義の体裁を整えたのは父の功績に帰せられています。 

 教団事務局長の植原吉松さんは、父と対照的な人物です。植原さんは、市内にアパートと貸家をいくつか持ち、入信前までは、ひそかに小金も貸していられたということです。悪性のとうを教祖様に直していただき、現世利益を願って入信されました。入信直後、植原さんの思惑買いした虹ヶ丘周辺の山林が地下的の延長計画で暴騰し、すなお教の霊験の覿面(てきめん)さに驚倒されたそうです。

「わしは、わしの労力を使わんで、人の商売の上前をはねる商売があっとるでなも」と冗談交じりに話されたことがありますが、教団運営が信者の寄付で成り立つことに、自分の商売の類似性を発見し、商売替えをされたそうです。

 すなお教団の現世利益を宣伝する逆手かもしれませんが、こんな事をあけすけに放言して、人に反感を与えない、得な性格なのです。 

 植原さんはこうして本部役員になると、教団経営に天才的な手腕を発揮し、短日月の間に支部数三八、信徒六千の教団に発展させたのでした。 

 植原さんと父は、いわば教団の二本の柱で、そのコントラストの妙が教団の発展に大きな役割を果たしましたが、性格の違った二人を適材適所におかれたのは、やはり教祖様の偉大さではないでしょうか。 

 でもこんな小娘が、生意気な批判をするようで悪いのですが、一方ではその欠陥も見逃すことはできません。信徒の信仰のあり方がお蔭信心と教義信心の二派に極端に分類されることで、これは二人の実力者の指導方針の相違が影響していると思われます。いずれ派閥となって、教団の進展の妨害にならないとも限らないのです。 さらにわたし達の心配といえば、教祖様にお世継ぎがないことです。教祖様は、教祖のあとに教主が必要なら役員の中から選出すればいい、と恬淡(てんたん)としていられます。自分が不死だと信じていられるからかもしれません。でも役員の中には、われこそ、次代の教主、と野心を持つ人がいないとは限らないのです。その為には、人気取りの術策がないともいえず、その点に一抹の不安があるのです。 

 わたしのように教団の中に入り込むと、信仰者の集団とは思えぬみにくいことも、時に眼に触れることがあります。いくら教義がりっぱでも、人間の作る集団には変わりません。わたし達の心配が杞憂(きゆう)に終わればよいのですが。  本館二階の宣教部室には、三、四人の宣教部員が、石油ストーブを囲んで油を売っていました。宣教部長の岩国さんの姿が見えないことが、そんなゆるんだ姿勢をさせているのでしょう。 次長の風間さんだけは、周囲の弛緩した空気に抵抗するように、古い事務机に向かい、熱心に執務していました。何か風間さんだけが浮き上がった感じでした。 わたしは、部員たちの意地悪な目を意識しながら、風間さんの机の前に立ちました。風間さんは済んだ切れ長の目で、わたしを見上げたのです。

「ちょっとお邪魔していい?」

「どうぞ…」 

 風間さんは椅子をすすめてくれました。教祖様の片言隻句(へんげんせつく)を、風間さんほど大切になさる人はありません。教祖様のどんなお言葉も分厚いノートにびっしりと書きつけていられました。お付きのわたしなど、教祖様のご動静をとことん聞かれることがよくあるのです。

 「さっき、こんなことがあったの」 わたしがさっきの出来事を小声で伝えると、風間さんの顔が次第に青白み、深刻な顔で考えこみました。

 「ねえ、黒雲は事務局長さん、風は風間さんのことじゃないかしら?…」 

 わたしはつい、余計なことまで口を滑らせてしまったのです。教団を見渡した所、黒雲を追い払い、次の教団を背負って立つのは、純粋な信仰一途に生きる風間さん以外に絶対にないと思った手からです。

 でも風間さんはすぐに強い語調でいわれました。

「軽率な言葉はやめてください。お付きのあなたがそんな憶測をしたら、信徒に動揺を与えます。教祖様の深いご意中など、われわれ人間にはとてもわかりません」 

 私は真っ赤になりました。叱られたからではありません。教祖様のお言葉の端から風間さんを連想した心の動きが、風間さんに見透かされたようで、たまらなく恥ずかしかったのです。2 暮れも押し迫ってから、その年最後の評議員会が、すなお会館会議室で開かれました。  

 会場には石油ストーブこそありましたが、老朽化したバラックから忍び込むすきま風は、容赦なく師走の冷たさを送ってきました。 本部役職員、各支部選出の三十人余りの評議員が、長椅子を長方形に並べた木の丸椅子に、寒そうに腰かけていました。 わたしも内事室を代表し、評議員席の末席に加わらせて戴いていました。みなが寒そうに首をくすめている間に、妨げもなくいくつかの議題が通過し、会議は進行していったのです。 

 評議員席の正面には、N地区支部長の小林議長、そして小林さんをはさむように、父と植原さんが両側に並んでいました。

「それでは、本部移転問題について、提案者の植原さんよりご説明願いします」 

小林議長がメモを見やり、慣れた語調でいうと評議員たちの眼が、一斉に植原さんに注がれました。 短身肥満の植原さんは、のっそりと立ち上がりました。白い丸顔は艶々と血色が良く、見るからに福徳円満の相で、頭髪を短く刈り込んでいます。笑うと童顔になり、人はつい警戒心を忘れ、植原さんの思う度にはまります。 

 植原さんは好んで…エベス(恵比寿)顔をふんだんにふりまき、はりのある大声をあげました。

「皆さん、ご苦労さんだなア、わしのように肥えとってもヨー、この席のすきま風は、身にしみるわ。マア、これも修行だと思って、よろしくご審議してちょうだェ。」 植原さんは教祖様と同じに、名古屋弁丸出しです。その名古屋弁が会議の空気をやわらげ、善意のこもった笑顔がこぼれるのです。その恵比寿顔とともにどんな席上でも名古屋弁で押し通すのは、植原さんのトレード・マークのようなものでした。「さて、ご本部の建物は、教団がでけた時、バラックで間に合わせに造ったもんで、でやァぶんにガタが来とるわなァ。見てちょゥでィァすように、わしのようなデブは遠慮しいしい歩かんならん。また集会をするにも、きゃァ(会)場はせみゃァ。地方からの参びゃァ者の宿舎も、信徒のうち(家)に分宿せんならん。しかも敷地がせみゃァで、増築の余裕がぃしい歩かにィャァーわ。一方、教勢は発展の一方で、本部の建物はなんとかならんか、とお叱りを受けているわけで、事務局をあずかる植原、実さェ、冷や汗かェとるわェ。そんだけど、教祖様の喜寿を祝う生誕祭もラエ春にせまり、こんなことしとれん。と痛感しとるわなァ。さて、皆さん、わたしン達は、まず広ォい土地を買ってご本部を移転し、本部施設の新築を記念事業とすれば、こんなええお祝いはにゃァと思うとる…」 信徒連は、本部側提案となると、羊のように従順でした。まずO地区支部長の勝山さんがまっさきに発言しました。 「事務局長さんのご提案は、教祖ご生誕祭を前にして、ほんとうに時宜にあった建設的なご意見です。信徒の一人として、もろ手をあげて賛成します。さらに具体的な説明をしてちょうだェ」 植原さんはあふれんばかりの笑みをたたえました。「ご賛成してちょうだェしゃァ、ありがてァィわ。そんなら、ちょっとばか考えとることもあるで、説明するわなも。移転してくとこは、町の中の俗っぺいとこはやめて、郊外で時価も安く、交通もどっちかというと、便利で景色のええ高みィ、これだけの条件は欲しいわ」 植原さんが一息入れるのを待っていたように、今西愛子さんが立ち上がりました。 今西さんは東京のS女子大出身のインテリです。結婚運が悪くて、三度結婚し、そして三度とも、新婚間なしで夫と死別していられます。その後は結婚を諦め、菓子問屋の経理などをし、女一人で生きてきました。 植原さんが、今西さんを、信仰にお導きしました。掌療治で、根強い不眠症をなおしてあげたのです。そして植原さんは、つけ加えられたそうです。「あんたは竜女の生まれ変わりで、結婚した夫はすぐに死ぬ。神様にお仕えするために生まれてきたんやでなも…」 植原さんは人の心を惑わすようなことを平気で言われます。植原さんもまた、教祖の資格が十分なのか、インテリの今西さんまでコロッと参ってしまわれたとのことです。今西さんの金縁眼鏡が光り、白い喉頚(のどくび)がひくひくと動きます。「ちょっとお尋ねします。わたし、本案は、大賛成でござァます。でも事務局長さんのおっしゃるような土地など、今どき見つかりますかしら…もちろん、深いお考えの事務局長のことですから、さぞかし、候補地のお心当たりをお持ち遊ばすでしょう。どうぞ、わたしどもを、この席で喜ばせてくださいませ」 植原さんはふっくらとした手で大げさに頭をかくと、くだけた口調で答えました。「いやァ、いつもながら、今西先生のご慧眼、恐れ入ったわなも。ほんとにいゃァす通りだわなも。候補地は守山だがなも。守山はこれからもますます住宅地として発展する土地だで、その点に目ェつけたわけだわなも。なんでも中心を洪積層とかいう台地が走っとって、その台地の大たェまん中の、ちょうど瀬戸電S駅から歩いて十分ばかりのとこにあるわなも。そこは大正不動産の緑ヶ丘分譲地で、わしも二、三ぺん下見してきたが、静かァな所で木がよけ生えとって、市内の中心部がいっぺんに見える、ええとこだわなも。おまけに湧き水の綺麗でうみゃァことは、まさに神様のお恵みの地だと一目惚れしたわけだわなも」 なも、なも、なも…と語尾だけがやたら耳に残り、その調子のよい話も、私の頭にはあまり入りません。でも今西さんは、感動したように、しきりにうなずくのです。「とても嬉しいお話を聞かせて戴きました。きっと事務局長さんのおつむの中には、本部施設の大きな構想をお持ちでござァましょうね。ついでにお聞かせ願いとうございます。」 植原さんは得意満面の様子でした。「構想といっても、あんたァ、予算のことを考えずにやるわけにはいかんでなも。まァ植原の夢と思って聞いてもらえればええ。さしずめ四、五千坪の土地を買ェ、礼拝堂、大会議室、講堂などを集めた、三、四階建ての鉄筋の総合会館、教祖殿、参拝者宿舎、奉仕者寮などの建設をやる。これを第一期記念事業として、教祖様ご生誕祭に発表会をやりゃァ、実に意義ふきゃァと思うがなも」 会場は熱狂的な拍手の渦に包まれました。純真な信徒達は、すなお教団の発展を夢み、心地よい興奮に酔いしれているのでした。でも私には、単純にこの雰囲気にとめこめないわだかまりがありました。植原さんの結構な言葉にも裏があるような気がしたのです。 その時、風間さんが議長席に向かって手をあげたのです。議長の小林さんがちらっと苦い表情を見せ、しばらく躊躇したのち、発言を許しました。 風間さんは起立し、植原さんを正視しました。「私はその提案に反対です」 緊張した声が会場に響きました。「ほう! それはまた…」 植原さんは驚いたようにいい、とぼけた表情で会場を眺めまわし、その視線を意味ありげに風間さんにとめました。…ほら、またはじまったァ、一言居士が…植原さんの老獪な態度はそう語っているようで、一部に失笑が湧きました。わたしは憎くて憎くて、植原さんを睨み付けてやりました。 風間さんの頬に血が上がりました。わたしは、風間さんが見かけによらず、癇癖(かんぺき)の強いことを知っていました。 風間さんは早口に語りました。「私は、すなお教こそ唯一絶対の真の宗教だと信じ、入信させて戴きました。現在でも、その信念は強くなるばかりです。教団の目的は澄みきり、澄みきれる平和な世界をつくること…こんな素晴らしい目的を与えられている教団に、どうして殿堂伽藍が必要でありましょう。私たちは、拝礼する神殿、雨露を凌ぐ集会場があればよい。殿堂に納まって、ドアをたたく人を待つ怠慢は許せません。この素晴らしい宗教を、不幸な人たちに伝える義務があるのです。野に出、町に立ち叫び続けましょう。教団が殿堂伽藍にこもってその大を誇る時は、すでに教団の堕落の証しだと思います」 わたしは感動に胸がジーンと熱くなりました。風間さんは、私のいおうとすることを、そのままいってくれたのです。 でも会場は、意外に白けきった空気に包まれていました。せっかくの楽しい夢に水をさされた瞋恚(しんい)でしょうか。若僧のくせにという反感でしょうか。 風間さんはいきり立っていました。「…これは単なるうわさであって欲しいのですが、すでに事務局長さんは、大正不動産に対して手付を打たれたと聞いています。評議員会の決定前にそのような行為をとられたことは、職権乱用ではないでしょうか。その点について釈明を求めます」 会場がざわめきたつと、植原さんは短い手を前でばたばたさせて、会場を制止し、「お答え致しマース、お答え致しマース」 と間延びした声で叫びました。「確かに緑ヶ丘分譲地に手付を打ったのは、ほんとのことだわなも。ただ風間君のいやァすことは、だぇじな点がちょっとばか違うんで。わしは事務局長植原ではなく、個人植原として手を打ったんだわ。みんな知っていりゃァすように、地価いうもんは、じっきに値上がりし、おまけに条件のええ土地は、すぐ売れちまうでなも。手付は植原個人が打つたんで、だめなら植原個人が手付を倍返しすればええ。本案が通ったら、もちろん、手付を打った時の安い値段で買ってもらう。この事実はわしの胸ェ納めておきたかったが、風間君の詰問にあい、やむなく申し上げたまで。決して職権を乱用したんでなく、この植原の大神さまに対する至誠の発露だと、マア、そんな風に考えてほしいわなも。人の揚げ足取りはやめて、信仰者らしく、すなおな心に立ち返って、本案をきゃんぎゃァて(考えて)もらえたぇと思うわなも。どうだェも?」「エベス様に損はこかせん…」 と誰かが弥次ると、会場は笑いが湧き、植原さんの個人プレーに、どっと賞賛の拍手が起こるのでした。風間さんの最後の発言は、植原さんの詭弁の前に、むしろ逆効果であったようです。風間さんは唇を噛んで絶句し、本部移転案はこのまま、押し切られる気配でした。父がゆっくりと立ち上がりました。父の声は低くしわがれ、聞く人の心に沁みとおるような響きがありました。「実はさっきから、新鮮な感動をもって、聞いていました。信仰も長くなると、ついカビが生え、この辺でふと安息したくなる。入信当時の熱烈な信仰をそのまま持ち続けることは、厳しく辛いことだからです。風間君の発言が入信当時の初心を思い出させてくれました。ありがとう、風間君…」 父は風間さんに軽く頭を下げました。その行為をキザっぽいという人があるかもしれません。でも私は、父の言葉に嘘はないと思います。とにかく父は感激屋なのです。 父は急に語調を変えました「だが私は、また別の観点から、本部移転案に疑問を持っている。まず第一は、本案が教祖様のご意図から出たものか。もし教祖さくの御意図ならば、批判の余地はありますまい。だか私には、そうとは思えない。次に本案の実現にあたっては、莫大な金がかかる。その金は当然、支部に割り当てられます。支部を代表する評議員諸君は、信徒から多額の金を集める自信がおありか。さらにそれだけの金があるならば、教団の運動に使うことこそ、教祖様のご意図に沿うのではないか。事務局長の返事をうけたまわりたい」 会場はしゅんとなりました。本部移転案に関して、教祖様のご意図が判然としないことは、致命的な欠陥と言えました。またその費用についても、誰しもが、自分の支部の負担の少ないことを望んでいるのです。 植原さんは頬を紅潮させ、やっきとなって、叫びました。「答弁申し上げます。小野寺先生のいやァすことは、総務部長の要職にござるお方の言葉として、まことに納得いかんわなも。さて、ご質問の第一、本案は教祖様のご意図と断言してええ。教祖様はご静養中で、本案についてじかじかのお言葉をちょうだえするとはできん。できんが、教団の大を願わん教祖があるだろうか。ご静養中の教祖様のお心をおしはかり、考えさせてもらったもんだわなも。 次に御質問の第二。本部移転には、ほんとうに大きい金がいるわなも。そんだけど、あんた達が寄付されることは、いわば神様にお預けするようなもんで、神様は必ず報うてくださる。神様があェ手だから、こんな安全な投資はにゃァわも。苦労して寄付してちょうだェしゃァ。目に見えんお蔭は、万倍になってきゃァてくる。遅れて入信した人達ァ、あんたらァの果報を羨むことになるわ。このエベス様が受けあう。大丈夫、本当のことだわ」 信徒にお蔭を持ち出すことは、猫に鰹節以上の効果があります。しかも植原さんの福々しい相好を見ていると、わずかの寄付でも、背負いきれぬほどのお蔭が降りかかってきそうな気がするのでしょう。会場がどっとどよめきました。 風間さんと父は憤然として立ち上がりましたが、小林議長は手で会場を制し、間髪を入れずにいいました。「さて、大多数のご意見は、本案にご賛成のようでありますが、なお、一、二、強い異論もあるようです。本評議会は、満場一致を原則としているので、意見の調整に今少しの時間をかしたいと思います。議事進行上、本件に対する質問を認めません。ご賛成を願います。」 会場は、拍手で賛同し、煙草の煙がもうもうと上がり始めました。そして、さして重要でない議案が次々に可決され、会場は終わりに近づきました。 用意された議題がすべて終わると、ふたたび風間さんが立ち上がり、緊急質問を提出しました。「先日、共産党地区幹部の松木という人が、事務局に入信届を出し、受理されなかった事実があります。共産党員であるために入信が許されないなど、教義と全く相反することであります。その点、事務当局はどのようにお考えでしょうか。」 植原さんは、議長の指揮を待たずにしゃべり始めました。「本日はどうも、風間君からつるし上げにあう日のようで、恐れ入ります」 植原さんはあけひろげの声でいって会場を笑わせた後、丸い顔に闘志をみなぎらせ、風間君をぐっと睨み付けました。「風間君はその話を松木さんから聞きゃァしたことと思うが、話がちょっとばか、食い違っておれせんか。なるほど、わしは入信届をはねつけた。だがそれは、松木さんが、入信後も党活動を続ける、といわれたんで、お断りしたんだぎゃァも。単に共産党員だからはねつけたんでにゃァ。その点は誤解せんよう頼んます。そんなら、なんぜ党活動を続けるのが悪いのか。…皆さん、松木さんが教団活動をそっちのけにして、党活動にばか専念されたら、教団にどんなレッテルが貼られると思う?  政府の思想的弾圧がにゃァといいきれるきゃァ。また信徒獲得にも邪魔にならんきゃァ。わしは教団のためにならんことなら、断固として反対するわァ」「では、教団の信徒は、党活動をしてはいけない、というのが、事務当局の見解ですか?」「さあ、そんなことは、あんたの上におられる岩国宣教部長から返事してもらやァ、ええだなァか、肝心の宣教部が意志の統一を欠いとるようでは、ほんとに困るわァ」 宣教部長の岩国さんが議長に促され、和服の着流しで、片手を懐手(ふところで)にのっそりと立ち上がりました。 岩国さんはかつて右翼の旗頭で、その方面では名が知れていたとか。右翼運動に見切りをつけると、あっさりすなお教団に入信されたのです。入信の動機はわたしにはわかりませんが、多分教団の平和理念にでも共鳴されたのでしょう。右翼運動で鍛えた弁舌は、人をひきつける魅力を持ち、岩国さんに傾倒する信徒も少なくないのです。でも人を見下したような傲岸な態度は、一部信徒にひんしゅくを買い、意外に権力に弱いという風評もありました。 岩国さんはせい一杯の愛想笑いのつもりか、血色の悪い片頬を歪めて見せました。でもそのもの言いは、高圧的な響きがありました。「それでは、宣教部長としての見解を申し上げる。いかさま、教主のみ教えは風間君のいう通りです。だが、目的と手段を混同しては困る。教祖さまは理想をお示しになっているのです。その理想を正しく実現していくことが、われわれ本部役職員、信徒の責任であることは、申すまでもない。つまり理想を実現する手段として、事務局長のとらた処置は正しい。もちろん事前に私に相談があったのです。現実問題として、松木さんの入信を認めることは、まだ時期尚早である…というのが、宣教部長の私の見解であります。はからずも次長が異論のあることをこの席で知り、はなはだ遺憾であります。「詭弁だ。受難を恐れて、教団の正しい発展がありえますか。受難に耐え抜くことが、正しい教団のみにおわされた宿命だと思いませんか。信念を曲げずに通してこそ、教団の生きる道があるのです。」 風間さんの血を吐くような悲痛な叫びでした。でも岩国さんは顔色も変えず、平静に受け流しました。「ねえ、風間君。原水爆を禁止しようと願って、右も左も含めた全国民的規模で結成されたG協議会のことは、君もまっさきに支持した一人だから、よく知っていると思う。だが、現実はどうかね。そのりっぱな看板のもとで協議会は二つに分裂し、政争の具となっている。その二の舞はしたくない…」「部長、思想団体と宗教団体を混同しないでください。宗教がイデオロギーに屈服すると考えているのですか。わたしたちのみ教えは、もっと尊いはずです。 その風間さんの叫びも、「わしは、アカは嫌いだ!」などの弥次でかき消されました。議場が騒然とする中を、父が立ち上がって、何か発言をしようとしましたが、不意に顔を蒼白にひきつらせ、手でおなかを押さえると、机にうずくまってしまいました。「静粛に願います。小野寺先生がご急病のようであります。」 小林議長の声で、会場は一斉に静まりました。わたしは夢中で父の傍(そば)に駆け寄ると、父は私の手をはらいのけ、必死に身を起こすのでした。 父は、額に脂汗を浮かべ、苦痛に顔をゆがめていいました。「いつもの持病です。すぐになおります。どうぞ会議をつづけて下さい。「いかがでしょう。こういう問題は、宣教部内で纏めることにしては? 小野寺先生もご発病であり、一応ここらで閉会にしたいと思います。」 小林議長が叫ぶと、みなが立ち上がって、拍手しました。その瞬間に、父の体のことなど心配してくれた人が、幾人かでもいたでしょうか。 誰の顔にも、倦みつかれた会議から解放される喜びが現われていました。 でも風間さんだけは、心から父の容体を気遣ってくれていることがわかります。掌を父の患部に置き、脇目もふらずに神に祈るその姿は、真剣そのものでした。3 父が行方不明になったのは、一月二十四日の夕方で、わたしがそのことを知ったのは、翌二十五日の朝十時頃でした。通いの家政婦さんが朝食の支度に来て、父の姿のないのを不審がり、教団に電話で問い合わせて初めて知れたのです。 家政婦さんの話では、父の帰りがあまり遅いので、戸締りして先に帰ったんだそうです。でも家の中には、父の帰った形跡はなかったのです。 わたしは心当たりを思い出す限り問い合わせをしましたが、どこにも父の立ち寄った形跡はありません。でも本部は意外に冷淡で、一日あけた二十六日の午後になって、ようやく千種署に捜索願が出されています。 警察から父らしい死体があったという報告があったのは、二十八日の午後三時過ぎでした。わたしは、植原さんの運転する車で、岩間さん、風間さんと同乗し、死体が発見されたという緑ヶ丘分譲地に向かいました。 この緑ヶ丘分譲地のもっとも見晴らしの利く高台数千坪が、本部移転候補地として、植原さんの手付の打った問題の土地です。その問題の土地で、父らしい死体が見つかったというのです。 お昼過ぎからちらつきはじめた小雪が、フロントガラスに当たって溶けるのを見つめながら、その知らせが間違っていることを祈り続けていました。毎晩、神様に手を合わせていながら、こんなに真剣に神様に祈ったことはありません。 緑ヶ丘を登り詰めた所で、わたし達は車を下りました。 現場には縄が張りめぐらされ、数人の刑事さんらしい人がこまめに動いていました。ずんぐりと太った髭の剃り跡の濃い警察官は、佐野警部補と名乗りました。 丘の斜面の灌木(かんぼく)の中に、菰(こも)をかぶった死体がありました。佐野警部補が菰をめくると、異様な死体の顔に雪がぱらりと落ち、そこに体温があるかのように、すぐに溶けてしまいました。 風間さんは左手でわたしを抱きかかえ、右手で傘をさしかけてくれました。「私はいい、お父様に傘…」 自分で驚くほど、擦れた声でした。佐野警部補はほっとしたようにいいました。「やはりお父さんですね」  死体は父に似ぬ父でした。生前の父の印象とは、似ても似つかぬ父でした。死体が父の印象と違うのは、父の死体が飾られていたからです。 父の顔は厚く死化粧が塗られ、はげた部分から老醜が無慚にむき出していました。高い喉仏(のどぼとけ)の下に古代の勾玉に似た首飾りがたれ、薄い肌着の上に白衣と紫の袴をつけていました。その首飾りは教祖様から拝領したもので、衣服はすなお教で祭典の時に着る祭服でした。 手は胸の上で祈るように行儀よく組まれ、箸のように痩せた足を開き加減にし、灰色の雲に向かってにょっきりと立っていました。そして外気に触れている皮膚の部分には、鮮赤色の死体が見えていました。 わたしはうなづいて父の死体であることを確認すると、震える膝に力を込めて立ち去ろうとしましたが、数歩もいかないうちに、腑抜けのようにしゃがみこんでしまいました。 わたしが最後に生きている父とあったのは、行方がしれなくなった日の、一月二十日の夕方でした。夕拝を終わって、私が教祖様のお腰をおさすりしている時に、父がご面会に参ったのです。 父は教祖様の前に静かに端坐すると、いつものように、総務部に関する細々した問題を律儀にご報告するのでした。教祖様は聞いていられるのか、どうか、ぼんやりと半眼をあけ、ただ義務的にふむふむとうなづいていられるのでした。教祖様には、本部の事務的な問題など、理解し、判断しようとする根気がなくなられたような気がしてなりません。誰に対しても、はっきりしたご返事をなさったことがないのです。 教祖様は父のご報告の途中で、突拍子もなく仰いました。「三七子さん、神様に何がお供えしてあるきゃァ?」  御居間の神床には、小さな白木の神床があり、お神酒と洗米と昆布が供えられていました。私がそのことを申し上げると、教祖様はすぐに仰いました。「お父さんに昆布をもって帰ってもらうとええが…昆布はよろこぶというでなも」 教祖様は、面会の信徒に、物を上げることが好きです。お元気な頃は、よく押入れの中にお首を突っ込まれて、手ずから、いろんなものをあげられたのでした。信徒はどんな粗末なものを頂戴しても、涙を流して感激し、いっそう信仰に励むのでした。もちろんかわいい信徒を喜ばせたいという御親心の現れですが、多少の計算が含まれているような気がします。たとえば、利用価値のある信徒には到来物の羊羹(ようかん)、一般信徒には小粒のお蜜柑(みかん)というふうに… この場合、教祖様がどんなお気持ちでいわれたか知りません。でも父の顔に喜悦の影がかすめ、私が半紙に包んで渡した、おさがりのわずかな昆布を押し頂いて受け取るのでした。「はい、ご苦労さんでなも、」 教祖さまがそう仰って目をつぶられるのは、面会を終わりたいご意図なのです。恭しく拝礼すると、父はそっと席を立ちました。 父は広縁に立ち止って、送って出た私を深いまなざしでじっと見つめました。「三七子。お前は風間君のこと、どう思うかね」「どうって…」 とっさに返事ができず、お庭の木賊(とくさ)の黒褐色の葉をみやりました。「三七子も年頃だが…」 父はそう言いかけ、急に話をそらすと、「今年の冬は、いつになく寒いね。ご苦労だが、教祖様のこと、お願いするよ」そしてさらに、何か言いかけましたが、急に背を向けると振り切るような足取りで歩き去りました。虫が知らせたというのか、その後ろ姿には暗い影が尾を引いていたのです。
 私たちはその足で、教団本部へ帰り、教祖様へご報告にあがりました。 私の留守には、加藤さんと長谷川さんが付き添っていましたが、教祖様はわたしを見ると、仰臥(ぎょうが)なさったまま、甘えた声をかけられるのです。「三七子さん、どこへいっとったんきゃァ?、わしは寂しゅうてかなわなんだ」 父とは、ついぞ甘えることも甘えられることもなかったのです。 わたしは教祖様のお布団の裾にすがり、おまわず声をあげて泣いてしまったのです。教祖様は理由を聞かれず、枯れた手を伸ばして私の髪に指をからませ、頭の地肌をゆっくり掻かれるのでした。 思うさま泣くと気が静まり、いそいで涙を拭くと、教祖様の背に手を添えて、お起こししました。岩国さんが待っていたように切り出されました。「ご報告させていただきます」「何をォ?」「かねて行方不明でご心配かけていた小野寺総務部長ですが…」「みつかったきゃァ?」「ハァ、守山の分譲地で見つかったことは見つかったのですが…すでに亡くなっとられまして…」「それがもう、ほんとに奇妙な死体でなも。教祖様から頂戴した首飾りをつけ、祭服を着て、べったりお化粧してなも」 植原さんがそう補足すると、風間さんが熱にうなされたように早口にいうのでした。「だが、美しいお顔でした。平和な天使のようなお顔でした。薔薇のようなご血色で、まるで生きておられるようでした。」「もうよいわ」 植原さんは不機嫌にいうと、岩国さんに語りかけました。「そんだけど困ったことになった。明日の新聞に派手に出るわ。なんとか、信徒の動揺を押さえないかん。教団として総務部長の死をどんなに解釈するか、早々とこの方策を立てな。岩国さん、あんたの役割や」 わたしは怒りがこみあげてくるのを、やっとの思いで押さえていました。父の死を、教団の都合のいいように勝手に解釈するなんて、あまりにもひどい。…でも教祖様は、父の死をどのように受け止められたのか。 わたしは、教祖様をみて、その異様な状態に気がつき、息を飲みました。教祖様のお顔が瘧(おこり)のようにふるえ、目には不思議な光が宿っているのです。そして両の手を急に宙に挙げ、しわがれた声を出されました。「黒雲が広がる。風が吹く、嵐が来る…」 その声が不気味なすすり泣きに変わり、激しく身を捩(よじ)って悶えられると、みなは神様のご託宣を聞くように平伏しました。ただ私はおろおろし、狂乱の教祖様のご介抱をするのでした。4 父の変死について、本格的な取り調べが行われたのは、死体発見の翌日、一月二十九日の朝からでした。 どのような理由があるにせよ、本部の神域に警察官が踏み込み、本部関係者を取り調べることになったのは、教団にとって屈辱に耐えぬことであったのです。それもこれも、父が変死したせいだというのか、一応、父の葬儀は教団葬になりましたが、娘の私をみるめは決して温かいものではなかったのでした。 佐野警部補は、被害者の娘というせいか、わたしにだけは、常に労り深く接してくださいました。通夜の疲れも忘れて、私は知る限りのことを話して捜査に協力しましたし、佐野警部補もまた、警察側で判明していることを親切に教えてくれました。父の死体発見までの経緯も、佐野警部補が語ってくれたのです。 一月二十八日の午後、固く凍(い)てついた緑ヶ丘分譲地に自家用車が止まり、三人の男女が降り立ちました。 枯木と寒風の荒涼とした風景が買手の購買欲を鈍らせるのか、冬山の分譲地は売れにくいといいます。それに不況と異常寒波の襲来もあって、大正不動産の岡崎さんがお客さんを緑ヶ丘分譲地に案内したのは、数日ぶりのことだったそうです。緑ヶ丘分譲地の大半は、昨年中にほとんど売り尽くし、宣伝も打ち切られ、わずかの土地が残されているばかりでした。 お客さんは、老夫婦で、定年で入った退職金で小さい家を建てたいという希望でした。老夫婦は肌に刺す風に身をすくめ、裸の枝を張った桜の老木の下に寄り添って立ちました。 テレビ塔やビル街が菫(すみれ)色に霞み、台地に平行する矢田川がくねって光り、その流れが手前に近づくにつれて、菅笠の形に稲葉を積んだ冬の田が広がっていました。分譲地の山すそにつらなるゆるい斜面には、半(なか)ば朽ちかけた農家にまじって、しゃれた近代建築の小住宅が点在しているのです。 頭の禿げ上がった夫は、熊笹の茂みを分けて覗かせている、黒っぽい一寸角の石杭(いしぐい)を凝視しました。小柄な妻は、オーバーのポケットに手を入れた夫の腕にすがり、コートの襟に顔を埋めました。二人の人生の報酬が、この石杭と石杭の間、雑草の茂るにまかせた赤土のひとくれに化する灌漑をかみしめているのでしょうか。 だが、岡崎さんには、客の感傷などおそらく無縁だったことでしょう。一山いくらで手に入れた土地を、山肌を荒く切り崩し、砂利道で囲み、一尺幅の排水溝をつけ、坪単位で少しでも高く売りつければよかったのです。 岡崎さんは、皮ジャンパーの腕で、あちこちを指し、こちらを示し饒舌(じょうぜつ)でした。春には土地の値上がりが必至で、投資家が買いあさっていること、近い将来、すばらしい高級住宅地が緑ヶ丘分譲地に出現すること、すぐ近くまでガスが引かれること、山の水がすごい甘いこと。…でも岡崎さんの雄弁が急にぎくっと停止しました。 岡崎さんは目を凝らし、繁みの奥を透かし見たのです。掘り起こされた松の根っこの陰から、白と紫の鮮やかな色彩が浮き出ているのをみると、羊歯(しだ)や茨をふんで犬股に進んだのでした。 そこに死体をみたのです。岡崎さんは死体の顔に記憶がありました。「来てはいかん。ここに人が死んどる」 事態を飲み込めず、近寄ろうとする老夫婦を制すると、老夫婦の顔は見る間に白くなったのです。  岡崎さんは嫌がる老夫婦を現場に残し、車で守山署に通報したというのです。警察官が到着した時は、降り始めた粉雪の下で老夫婦が唇を紫色にして震えていたそうです。  父の解剖の結果によると、二十五日の深夜、一時から二時頃に昇天したと推定されるそうです。死因は凍死で、当日の名古屋地方の最低温度は零下八度、平年より六度も低いのです。なお胃の中に多量のお酒と睡眠薬が発見されています。お酒をいただくと、アルコールの作用で皮膚血管が拡張し、体温の消失を助け、死を助長するそうです。お酒と睡眠薬で意識のない中に、仮睡から永眠へ、さほど苦痛もなかったろうと思うことが、せめてもの気休めでした。 さらに胃の中から昆布が発見されたのですが、これは教祖様から頂戴したものでした。もっとも意外であったことは、父が重い胃癌にかかっていて、死は時間の問題であったそうです。その後の調査で、父は昨年秋、市立病院で診断を受けていることが判明しましたが、そのことを、娘の私にさえ打ち明けていないのです。 現場には、古いのと新しいのと、二台のタイヤの痕跡が発見されています。新しいタイヤの痕跡は、岡崎さんが客を案内した時につけられたものです。問題は古いタイヤの痕跡で、二十二日に雪が降ってからは晴れ間続きで、それ以降につけられたことに間違いありません。もしこのタイヤの跡が父の行方不明当日につけられたものなら、父を運んだ車という疑いは濃厚です。 さらに重要な手がかりは、死体付近にプリンスホテルの宣伝マッチが落ちていたのです。プリンスホテルは、覚王山近くの連れ込み専門のホテルだそうです。そしてそのマッチには、父のでない指紋が発見されています。 一月二十四日の父は、毎夕五時から三十分間行われる夕拝に参拝しています。この夕拝には、死亡した時に着ていた祭服で、祭主を勤めています。父の祝詞の先達は息苦しそうで、途中で二三度つっかえ、うしろの方に座っていた私ははらはらして聞いていました。約八十名の参拝者の中には岩国さん、風間さん、今西さんの顔が見えました。 夕拝後、父は、礼拝堂の横の更衣室に立ち寄って番茶を御馳走(ごちそう)になり、祭服を包んだ風呂敷を手にして本部を出ています。山路経理主任は、いつもの日課どおり自宅へ帰ったと思ったそうです。時刻は六時四十分ごろで、父の目撃者はひとりも現れなかったのてす。
 最初、警察では自殺説もあったそうです。自殺説の根拠は、胃癌であり、父の好きな祭服をつけて死んでいたことが覚悟の自殺ではないか、とみられたのです。 でもわたしには、父が自殺したとは、どうしても考えられません。父は徹底した信仰の人でした。「神様から預かった大切な体を自分で放棄する自殺は罪悪中の罪悪だ」と人にも説き、自分でも信じていたのです。父は息を引き取る間際まで、教団のことを考えて死んでいった、と娘の私は信じていたいのです。もし父が自殺したとするば、父が信仰を失った時で、そんなことは絶対に考えられません。 でも自殺説をとるといろいろ不合理な点があることが、警察でもわかってきました。特に佐野警部補は、父の死に犯罪の匂いを嗅ぎ、強く他殺説を主張されたそうです。父があのように目立った祭服を着て、人に見られずに現場に行くことは、自動車でも利用しない限り、まず不可能に近いのです。また、普段の服装で現場にいき、そこで着替えたとしても、父は鶴のように痩せた特徴のある体つきで、やはり一人ぐらいの目撃者があってもいいはずです。それに現場で着替えたとしたら、現場に着替えの衣類が残っていなければなりません。 では、父がタクシーを利用したとすれば…でも警察の懸命な捜査でも、父を乗せた車は発見されません。…ということは生きているか、すでにほかで凍死させられた父が、無理に運ばれたと考えるほうが自然です。 それに父の化粧は、父の死後にされたことも明らかです。さらに、死体の近くに落ちていたマッチは、犯人が落としたものと思われます。 警察は他殺に踏み切り、父の異様な死様(しにさま)から、犯人は教団関係者の者だと、ほとんど確信していました。 当然、本部関係者の動機の有無や、その日の行動が厳しく追及され、次第に浮かび上がってきたのでした。 まず動機ですが、父は個人的怨恨を受けるような人でなく、当然教団の勢力関係に重点が置かれました。 一番動機が濃厚なのは、事務局長の植原さんでした。めっきり衰弱なさった教祖様にお世継ぎがなく、次の教主は信徒の投票による、と決められていることは、もし植原さんに野心があれば、父はさぞ強敵だったことでしょう。植原さんは役員間にこそ、勢力を植え付けていましたが、信徒間には父の信望のほうがはるかに厚かったのです。 岩国さんも教主になる風格をもった方で、一部信徒間に強い魅力をもたれています。宣教部長という役柄も信徒に接する機会はもっとも多いのです。岩国さんが教主になるためにも、やはり最大の障害物は、父ではなかったでしょうか。それに岩国さんと植原さんの間には、一種の協調が感じられましたが、父とはまったくそりが合わなかったのです。 今西愛子さは植原さんの絶対の崇拝者で、父に対して決して良い感情をもっていなかっただしょう。カッとなると、何をするかしれない、狂熱的な面もありました。 風間さんは丹後の僻村の、貧乏な靴修繕屋の子で、中学を出ると種々の仕事を転々としています。風間さんの潔癖さと融通の利かない一徹さが同僚との折り合いを悪くし、同じ職場にいることができなかったそうです。名古屋に来てからは、本部と向かい合った丘に立つ敬愛女子大学の食堂のコックをしていたこともあります。その当時、父の講演を聞いて感銘し、さらに教祖様にご面会して、すっかり生き方が変わったということです。それ以降は、父を実の親のように慕い、常に父の考え方に同調してきました。父を殺す動機など、まず絶対に考えられません。 そのほかの本部関係者は、先の人達に比べて力も弱く、父を殺すほどの差し迫った動機があるとも思えない、毒にも薬にもならない人達でした。 本部関係者以外で考えられるのは、まず発見者の岡崎さんです。岡崎さんは、緑ヶ丘住宅地を教団にまとめて売りたがっていましたが、すでに植原さんに手付まで打たれていながら、父と風間さんの反対で、のびのびになっていたのです。そして岡崎さんの大正不動産に差し迫った金融の必要があったかも知れません。 岡崎さんは、植原さんのアパートや貸家の客を昔から周旋していて、緑ヶ丘分譲地の売買にも暗い密約があったと疑うこともできます。入信を植原さんに拒絶された共産党地区幹部の松木さんも警察から調べられましたが、動機が不明です。植原さんに対してうらみがあっても、父に対してはその理由がありません。 これらの人達のアリバイは、二十四日の夕方から二十五日の朝にかけて特に詳しく調べられたのでした。 植原さんは、五時過ぎに自家用のクラウンを運転して、今池の料亭「旗本」へ行き、岡崎さんと六時半まで会談しています。岡崎さんと別れて、近くのバー、「エンゼル」で飲み、九時過ぎにエンゼルを出ています。酔いをさますために東山ドライブコースを一周し、十時に千種台の自宅に帰りました。家族の話では、頭痛がするといってすぐ就寝しています。 一方、植原さんと別れた岡崎さんは、コロナを運転し、七時過ぎに瀬戸線○駅の傍の事務所に帰っています。事務所から緑ヶ丘分譲地へは、歩いて十分くらいで行けます。事務所の裏は自宅になっていて、岡崎さんが事務所で残務整理していたことは、事務員と家事手伝い兼用の女の子の証言があります。自宅に戻るとすぐに入浴、八時半に茶の間で寝酒を飲み、九時過ぎに離れでひとりで就寝しています。奥さんは二人の子と一緒に茶の間で寝たそうです。 岩国さんは夕拝後、本部を出ると、七時前に黒川の自宅へ帰っています。すぐに家族と夕食を共にし、八時には講演原稿執筆のため、書斎に籠っています。執筆中は物音を嫌い、誰も書斎へ近づかない習慣です。十一時頃まで執筆し、書斎に備え付けのベッドで眠ったといいます。でも書斎は庭に面し、裏木戸を通って裏通へ抜け出すことができます。 風間さんは夕拝後、すなお会館食堂で夕食をすまし、七時頃から八時までは修行者の座談会を司会し、八時半から十一時近くまで、数人の病気信徒達に掌(てのひら)療治をしてあげています。それから奉仕者寮へ帰り、読書室で深夜の二時頃までご神書を拝読していたことは、夜中にトイレに起きた奉仕者の証言があります。二時過ぎに一階の八号室で就寝していますが、六時の朝拝には、ちゃんと参拝しているのです。アリバイも完璧ですが、それよりも風間さんの熱心なご奉仕ぶりには、本当に頭の下がる思いがします。 今西愛子さんは夕拝後、池下のアパートへ帰り、買い置きの缶詰で侘しい食事をし、後片付けが終わると、八時から九時半まで、テレビの劇映画をみています。映画の筋書や場面を、今西さんははっきり説明することができました。でも今西さんのアパートは、女給さんが多く、夜はほとんど不在で、そのアリバイを証明する人はいないのです。 佐野警部補は、犯人が睡眠薬入りの酒を飲んで昏睡している父を車に乗せ、緑ヶ丘分譲地へ遺棄したのではないか、と考えたようです。衰弱した父の体は、身も凍る山の寒気に耐えられるわけはありません。凍死は時間の問題でした。 関係者の中で運転できる人は、植原さん、岩国さん、今西愛子さん、岡崎さんの四人で、自家用車を持っているのは、植原さんのクラウンと岡崎さんのコロナです。でも本部のセドリックを、岩国さんなり今西さんが使用しようとすれば、さして困難ではありません。二十四日の夜、車庫にセドリックがあったかどうか、確認されていないのです。5 三十日には、父の教団葬が行われ、翌三十一日の早朝には、植原さんと今西さんが、守山署に置かれた捜査本部に任意出頭を求められ、午後になっても帰ってこられません。このことは本部役職員の一部が知っているだけで、一般信徒には洩らされていません。信徒達は二人の姿がみえなくても、事件の処理に奔走しているものと思って、不思議には感じなかったことでしょう。 父の死が新聞に大きく報道され、それも他殺の疑いが濃厚になると、教団は暗い空気に包まれ、心配した信徒達は毎日本部へ駆けつけるのでした。「この事件は法難です。この法難を乗り越えて教団は世に出る。祈りましょう。ひたすら祈りましょう」 岩国さんが礼拝堂の受付に端坐し、集まる信徒の一人ひとりに説かれます。集まる信徒の数は次々に増え、さして広くもない礼拝堂は、人が溢れるばかりになりました。 祝詞の大合唱は異様な熱気を孕(はら)み、潮(うしお)の寄せるように教祖殿にまで聞こえてきます。警察に抗議をするわけでもなく、大難を小難に、小難を無難にと、ただ祈りに祈るのです。 その従順で、ひたむきで、エネルギッシュな祝詞の大合唱を聞いているうちに、わたしはおなかの底がカーと熱くなり、とめどもなく涙がこぼれるのでした。 教祖様はこの教団の大難をどこまで理解していらっしゃるのでしょうか。朝から絶え間なく聞こえる祝詞の声に、ことのほかご機嫌で、お床に臥されたまま、たわいのない冗談など仰り、アハハ、アハハ…とお笑いになるのでした。 教祖様は私の頬の涙をみつけられ、「あんたァ、恋をしてますな。まぁ、春だなも。…アハハ…」と黒い歯をむき出して笑ったりなさるのです。教祖様は父の死のことなど、もう忘れてしまわれた様子です。教祖様がお昼寝をなさると、私は内事室におことわりして、宣教部室へ行きました。ドアを開くと、風間さんがただ一人、立ち上がって窓の外の曇り空を眺めていました。「風間さん、お願いがあるの」「はァ、…小野寺先生があの空のどの辺にいらっしゃるか、そんなことを考えていたのです。」 風間さんはそういって、放心した眼で、わたしを眺めました。わたしはそんな感傷に浸ることよりも、父を殺した犯人を一刻も早く探し出したい気持ちでいっぱいでした。「風間さん、警察へ連れて行ってください。様子が知りたいのです」「植原さんと今西さんことですね。教団から誰か、事情を確かめにいったはずだが…」「被害者の娘として、直接、捜査の進行状況を知りたいの。ね、お願い…」「行きましょう…」 風間さんはぶっきらぼうに言うと、そそくさと机を片付け、袖のすり切れたオーバーを手に取るのでした。 東山から地下鉄で今池に行き、今池からバスに乗り換えました。途中、相手の存在を意識しすぎるせいか、私たちは無口でした。 一度だけ、風間さんは教祖様のご様子を聞かれました。「とってもご機嫌だったわ。朝から冗談ばっかり仰って、お笑い通しよ。」 私が言葉短かにこたえると、風間さんは、「そうですか、そうですか」 と一人合点し、とても嬉しそうに微笑するのでした。  私たち達が守山署の受付で面会を求めようとすると、佐野警部補のずんぐりした体が、暗い廊下の奥から現れました。 佐野警部補は、すぐに私たち達を認め、笑いながら近づいて来ました。「いや、どうも、どうも…あんたらの見えるような所じゃない。ちょうど食事に出ようと思っていたところだが、よければ一緒に出ましょう。」 佐野警部補が案内してくださったのは、署の近くにある、古びた食堂です。看板には赤い太字で「めし」と書いてありました。時間はずれで、わたし達のほかは一人のお客もありません。「忙しくって、今頃昼飯です。失礼してここでやっちゃいますが、飲み物でも注文しますか?」 飲み物といっても、埃をかぶったラムネ、ジュース、ミルクコーヒーの缶詰があるだけです。風間さんとわたしはジュース、佐野警部補はきしめんの大盛りを注文しました。 わたし達が訪問の理由を述べると、佐野警部補は気持ちよく話してくれるのでした。「差支えないことだけ話しましょう。現場に落ちていた宣伝マッチから、プリンスホテルを調べました。すると、植原さんと今西さんがこのホテルを利用して、これまで幾度か密会していることがわかった。しかもそのマッチには、植原さんの指紋がついていた。「信じられないわ!」 私は恥ずかしくって、真っ赤になりました。風間さんも不機嫌そうに、強く眉をひそめます。「その信じられないことが起こったから、私も面喰っている。教団の事務局長と布教員がひそかにホテルで逢っているなど、ちょっと信じられんものね。サア、失礼して食っちまいます。」 佐野警部補は、湯気を立てている大盛りのきしめんに表面が真っ赤になるほど七味をかけ、フウフウふきながら、アっという間に喉の奥に流し込むのです。見る間に顔が充血し、汗が鼻の頭に滲み出ました。 佐野警部補は、お汁を一滴も残さず飲み終わると、手の甲で口のまわりを拭き、よれよれの「いこい」に火をつけました。
「さて、二人は七時頃、前後してプリンスホテルに現われている。植原さんは、クラウンをホテルの横の空き地に駐車させています。八時に電話があって、交換が部屋につないでいる。電話には植原さんが出ている。それからまもなく、植原さんだけが慌ててホテルを飛び出し、車でどこかへ出ていった。…そして帰ってきたのは十時前で、態度に落ち着きがなく、おどおどしていた。これは女中が証言しています。」風間さんは理解できない表情でいいました。「しかし植原さんは、九時過ぎまでなんとかいうバーで飲んでいた、といっていましたが…」「そう。エンゼルで飲んでいたことになってますな。だが、女給を問い詰めてみると、その日は二十分ばかりしかいなかった。時計を気にし、七時前には出ている。事件後、植原さんが、偽証を頼んでいるのです。また今西女史も、テレビの筋や場面を知っているわだ。植原さんを待っている間、退屈まぎれにテレビのよろめきドラマをみていたんですな。」 風間さんはいかにも嫌らしいというふうに顔を顰(しか)め、首を二三度降るのでした。その様子が昔かたぎの老人を見るようで、わたしは思わず笑いを噛み殺しました。「じゃァ、植原さんはホテルを出て、どこへ行ったというわけですか?」 風間さんは姿勢を伸ばし、手をきちんと膝に置き、まるで被告を訊問するような口調で質問するのでした。警部補もさぞ、勝手が違ったことでしょう。でも気を悪くなさった様子はありません。「植原さんの供述によるとですな、電話の声は不明瞭な男の声で、…今すぐ緑ヶ丘分譲地へ来なければ、二人の情事を暴露する…とマァ、こういう強迫だったんだそうです。植原さんは泡を食って飛び出した。車だと、急げば二十分はかからない。八時半には現場についたわけです。たがいくら待っても相手が現れない。一時間待っても相手が現れない。寒いし、欲も得もなくなり、諦めてホテルへ帰った。それから待っていた今西さんと善後策を講じて別々に帰った、ということです。」「ひとつ私の見解を述べさせて戴きます」 風間さんは警部補の眼を直視し、改まった声を出しました。「警察ではどのように考えているか知りませんが、小野寺先生は神隠しにあわれたのです。だから目撃者を捜しても無駄です。天界の重要な御用をなさるために、神様から命を召されました。見られたでしょう。あの神々しいお顔を…」 佐野警部補は、あっけにとられ、目をぱちくりして風間さんの顔を眺めました。わたしだって風間さんの神憑り的な考えについていけず、びっくりしたものです。でも風間さんの言う通りならば、娘としてどんなに幸福なことでしょう。 佐野警部補は苦笑し、小さな包みをポケットから大事そうに取り出しました。そして風間さんを完全に無視すると、その包みをわたしに渡しました。 包を開くと中からお守り袋が現れました。その袋はわたしが父に縫ってあげたものでした。私は父に会ったよう、思わずお守り袋を握りしめていました。「やはり小野寺さんのものか! あなたに確認してもらいにいこうと思っていたところだったんでね。実はこれは、植原さんのクラウンの後部トランクから見つかった。しかもトランクの中の予備タイヤに、小野寺さんの指紋が発見されたのですよ「まァ!」「いいですか。小野寺さんがクラウンのトランクの中に詰められ、現場まで運ばれたということになる。しかも現場のタイヤの跡とクラウンのタイヤが一致している。」「では父は、どこから運ばれてきたのでしょう」「それがわからない。植原さんが小野寺さんをクラウンのトランクに詰めて、ホテルで情事を行っていたとは考えられませんね。トランクに鍵がかけてあったとしても、小野寺寺さんがなんらかの方法で、通行人に助けを求めるかもしれん。そんな危険を冒すことはないでしょう。…とすると、植原さんが電話でホテルを飛び出した八時以降、どこかで小野寺さんと会った。睡眠薬入りの酒を飲ませ、昏睡する小野寺さんをトランクに詰め、現場まで運んだ。こう考えられますね。もしかすると、電話の声は小野寺さんだったかもしれない。」「植原さんはどういっています?」「もちろん、タイヤの指紋もお守り袋も全然知らない、と本人は主張していますが」 警部補の話を聞いていると、植原さんが真犯人のような気もします。一方、福々しい恵比寿様と殺人者のイメージがどうしても重ならないのです。それに植原さんのような利殖家が、殺人という算盤に合わぬ行為をするでしょうか。わたしは反論してみました。「この犯罪はかなり計画的なものだと思います。もし植原さんが犯人なら、どうしてトランクに指紋を残す不用意をしたのでしょう。現場にマッチが落ちていたことも、まるでプリンスホテルを調べてください、といわんばかりだわ。植原さんを陥れる仕組まれた罠ではないかしら?」「だが現実の犯罪となると、犯人がどう綿密に計画したとしても、一つや二つの手落ちはあるものです」「でも植原さんは、ありのままをいっているのかもしれません」「あるいはね。だが植原さんのクラウンで運んだのでないとすると、小野寺さんは、どうして現場まで運ばれたのです?……」 すると風間さんが、唐突に口を出しました。「植原さんと今西さんは、警察に拘留されるのですか?」「残念だが状況証拠だけで、物証はない。裏付け捜査を急いでいるが、このままじゃ困難でしょうね。どこで小野寺さんと会ったかわかればよいのだが…さて、私はこれで失礼しますよ。ここでいったことは、口外しないで戴きますよ。心証は黒だが、もし無実だとすると人権問題だからね」 佐野警部補は三人分の飲食代を払おうとしましたが、わたし達が固辞するととても恐縮し、十円玉を自分の分だけ数えてテーブルに置くと、広い肩幅をみせてせかせかと出ていきました。「警察官はなんでも疑ってかかる。気の毒に、地獄行きの霊魂ですね」 風間さんが守山署の古びた建物を眺め、真面目な顔でいったのには、私もつい吹き出してしまいました。
 その夜遅く、植原さんと今西さんが警察から帰ってきました。「植原さんと今西さんのことが知れては、教団の名折れです。絶対に秘密を守りましょう」 風間さんはそう主張し、二人の情事の秘密はずっと保たれたのです。 警察が二人を釈放したのは、決定的な証拠を発見できなかったからでしょう。昭和の巌窟王と騒がれた事件(注:吉田石松事件1913年(大正2年)8月13日夜、現在の名古屋市千種区の路上で繭小売商の男性(当時31歳)が殺害され、1円20銭が奪われた)が地元の名古屋で起こっただけに、警察でも慎重を期しているのかもしれません。植原さんの嫌疑が晴れたとは思えないのですが。6 この事件は、わたしに宗教の根強さを教えてくれました。新聞がこの事件を好奇の目で取り上げると、信徒達はがっしりと結束し、いっそう布教活動に専念するのでした。そのためにかえって本部講座の受講者が増加したということです。 父の死は、財力のある植原さんの勢力をぐっと強めました。宗教の世界でも、やはりお金がものをいうのです。新しく総務部長になった前次長の吉川さんまで、植原さんに取り入ろうとする態度を明白に見せるのでした。 風間さんを憤慨させたのは、教団の政界進出案です。植原さんと岩国さんが共謀し、本部案として評議員会に提出することが内定したそうです。宣教部次長の風間さんにまったくはからず、ほとんど事後承諾のような形で、その案を押し付けられたということでした。「宗教が政治に介入することは邪道だ。宗教は常に人の魂だけを問題にしなければならない」 というのが父の持論で、生きていれば、さぞ真向から反対したことと思われます。 でもある宗教団体の政界進出(1955年の統一地方選挙で創価学会は多数の学会幹部を無所属で擁立、1200人ほどが当選) の成功が本部役員を刺激し、風間さん一人が反対しても、大勢はもう動かしようがないのです。 警察の必至の捜査にも関わらず、犯人は依然として逮捕されません。本部でも、事件のショックから立ち上がっていました。「小野寺さんが死んだんで、教団の存在が全国に宣伝され、よい宣伝になったよ」と岩国が放言したとか。「小野寺さんの死は、本部移転案に反対した神罰ですよ」 と今西さんが講座でいわれたという噂もわたしの耳に伝わり、どんなに口惜しい思いをしたかしれません。  わたしは奉仕者寮のお風呂の木の湯船に肩まで浸り、この日が三月七日で、わたしの誕生日だったことを、ふと思い出しました。三七子という名前は、わたしの生まれた日からとって、名づけてくれたものです。でも誰も祝ってくれる人のない、寂しい誕生日でした。 事務局の女事務員、坂本さん、安田さんがにぎやかに話ながら入ってくるのと入れ違いにお風呂から上がり、教祖殿に戻りかけました。でも途中で腕時計を忘れたことに気づき、急いで脱衣場に引き返したのでした。そして浴室から聞こえる坂本さんと安田さんの会話を、つい立ち聞きしてしまったのです。「死んだ小野寺さんが総務部長で威張っていられたの、娘のおかげだってよ」「まァ、ほんとォ!、誰がいってた?」 と黄色い声をあげたのは、まだ若い安田さんの方でした。「恵比寿さん…」「へえ、植原さんが…」「そうよ。おうちへ遊びに行って御馳走になって、そっと教えて貰っちゃったァ」「なんで三七子さんのお蔭?」「三七子さんが教祖様にお願いして、小野寺さんにいいようにするからだって…」「彼女、そんな力があるのかな」「もちろん、教祖様に特別なサービスをするんでしょ」「特別なサービス…どんな?」「口じゃ言えないわ。教祖様があのお年だもの。よっぽど特別なサービスなのね」「なんのことかわからないけど、でもいやァね。幻滅だわ」 頭から血が引くのが、自分でもはっきりとわかりました。わたしは暫(しばら)く板の間にうずくまり、胸の動悸(どうき)の収まるのを待って、そっと脱衣所を抜け出しました。 教祖様のお部屋の次の間が私の寝室です。わたしはお布団に潜ると、声を殺して泣きました。そして涙が枯れると、瞋恚(しんい)の炎がわたしの胸をなめ回すのでした。その時のわたしの想念は、きっと地獄してしていたことでしょう。誰にぶつけていいかわからない憎しみに、一夜眠れず悶(もだ)えぬいたのです。 わたしのことはどのように言われようと、まだ耐えることができます。でもあれほど、教団のために誠心誠意つくした父や、信徒が神様のようにあがめている教祖様に対して、あんな無礼な中傷をすることは絶対に許せません。もし本当に植原さんの捏造したデマならば、植原さんの心は想像した以上に腐敗しています。やはり植原さんが、父を殺した犯人なのでしょうか?… 考え疲れた私の頭に、ふとなんの脈絡もなく共産党地区委員の松木さんの名が浮かび上がりました。松木さんは植原さんに遺恨があるはずです。もしかすると、松木さんは植原さんと今西さんの情事を知っていたかもしれない。明日は、松木さんにあってみよう、と私は決意しました。
 翌日、自分の時間ができたのは、教祖様がお眠りになった、夜の七時過ぎからです。わたしは風間さんに動向をお願いし、松木さんを訪問することにしました。 松木さんのアパートは仲田の裏通り、安アパートの居並ぶ地域の一角にある、みすぼらしい建物でした。 二階廊下の突当りの部屋をノックすると、やがてドアが内側から開かれ、無精髭の青年が姿をみせました。松木さんとは初対面でしたが、想像していたよりずっと好感がもてそうでした。「珍しいですね。さァ、どうぞ…」 松木さんは気持よく部屋に通してくれました。狭苦しい四畳半一間で、畳も赤茶け、道具といえば、やすっぽい卓袱(ちゃぶ)台、茶箪笥、ラジオ、本箱などが置かれていあるだけでした。 松木さんはわたし達に座布団を進め、自分は畳の上に胡坐(あぐら)をかくと、明るい声で話すのでした。「風間さんにせっかく導いてもらったのに、あんなことになって、残念でした。教団に所属しなくても、信仰ができる、といえばそれまでだが、僕らのような凡人じゃそうはいかない。だが宗教の一部に触れただけでも、いろんな意味で参考になりましたよ」 昨年来、植原さんに入信を拒否されたことを指しているのでしょう。風間さんはすっかり恐縮していました。「すみません。まったく、あなたに合わせる顔がない。だがあのことは、絶対に教祖様のご意図とは違います。一部幹部の信仰の取り違いで、いつか反省してくれるでしょう。どうか許してください」「いや、いいんですよ。教義と実際の行動の違うことは、何もすなお教だけじゃない。僕らの党でも、イムズと違った行動をする連中は珍しくない。…ところで、何か御用時でも」 風間さんは私を紹介し、訪問の理由を述べました。「そうですか。小野寺さんのお嬢さんですか。本当にお気の毒なことでした。まだ犯人は見つからないんですね」「はい…」「今度の事件じゃ、僕も警察からさんざん調べられましたよ」「父のことで、御迷惑をおかけしてしまったんですね」「なあに、…僕など警察から見りゃ、もっとも胡散臭い種族ですからね。警察とは性が合わんので、そらとぼけちゃおきましたが…アリバイのはっきりしていることが幸運だった」「この事件のこと、何かご存じないでしょうか。」「さァ?、たとえば、どういうこと?」「警察ではある人を疑っていました。ある人は、事件当夜、女の人とホテルで秘密に逢っていました。そこへどこからか電話がかかってきて、ある人を現場まで呼び出しています。でも現場には、ある人を呼び出した本人がいなかったのです。その電話の主は今でも謎ですが、もし電話をかけた人がわかれば、事件の解決の鍵となるような気がするのです。そして電話をかけたのは、二人がホテルで逢っていたのを知っていた人ですわね。」「ホテルで逢っていたのは、植原と今西じゃありませんか」「えっ、ご存知だったの」 あまりにもぴったり予想が的中したのです。「確かに僕も植原と今西の情事を知っていた一人です。しかしおかしいな。」「なぜでしょう?」「その噂は、教団内部に知れ渡っている、と思っていた」「まあ!」「思い切って白状しちゃうかな」 松木さんはてれくさそうに、もじゃもじゃた頭をかきました。「実はね、入信届をつき返された時は、さすがにかちんときてね。仕返ししてやれ、と思ったんです。植原はあなたがたと違って、信仰者らしくない卑しい影がある。そこで植原の身辺を洗ってみた。すると想像どおりでしたよ」「何かありましたの?」 私はせきこんで聞きました。「例の本部移転問題についても、大正不動産の岡崎と結託し、土地代金の一部を着服しようとしている疑いが出てきた。またある保守党代議士に教団の票をまとめて売ろうとしていることもわかった。その副産物が植原と今西の逢引です。プリンスホテルの女中をたらしこんで聞き出すと、毎週木曜日に落ち合っているんです。そこでこれらの事実を、教団本部に匿名で出してやった。」「意外だわ!」「さぞ、植原が肝をつぶしたろう、と思うと、胸がすーっとしましたよ。だがこれが今度の事件に関係があるとは思わなかった」「その投書を握りつぶした人がいるんだわ。その投書の宛名は?」「宣教部…。事務局宛だと、植原が握りつぶす心配があります。風間さんの個人宛にすると、共謀したように疑われちゃ、迷惑をかける。匿名にしたのも、その配慮です。宣教部宛にしておけば、風間さんの目にもふれ、その投書を問題にするんじゃないか、と…」「私はその投書を見ていません」 風間さんははっきり否定しました。「フーン、宣教部にきた手紙類は、どう処理されていたのです」「宛名が個人名でなければ、居合わせた宣教部員が目を通し、処理できるものはその場で処理し、重要なものは部長の机にまわります。宗教団体にありがちな欠点だが、どうも事務的にルーズな面がありましてね。書類や手紙がほかの部課へ紛れ込むことも、めずらしくありません」「弱ったな。すると投書を読む可能性は誰にでもあるわけだ。しかし一番読んだ可能性のあるのは、宣教部長ですね。アリバイはどうです?」「岩国さんは七時半から自宅の書斎にこもって原稿を書いていられました。夜遅くまで電燈がついていたことは、家族の人達が証言しています。でも岩国さんの姿を見たわけじゃないんですって。」「すると、アリバイは不確実ですね。それに家族の証言は信ぴょう性が少ない。」「犯人は岩国さんでしょうか?」「確かに容疑者の一人だな。岩国が小野寺さんを殺し、偽の証拠をつくって植原さんに容疑を向ければ、一度に二人の実力者を追放できる。もし彼に教主になりたい野心があれば、一石二鳥だからな。だが現場へ行っている植原はやっぱり本命でしょうね。その場合、…失礼だが、小野寺さんは、電話の声の主、つまり脅迫者だったのかもしれない。小野寺さんにも、投書を読む機会はありました。そして脅迫者が反対に殺された。「父が脅迫者…」 松木さんの推理は、わたしにはピンと来ません。身びいきのせいかもしれませんが、父を脅迫者だとはどうしても思えないのです。直情径行の父は、もし投書をみていれば、植原さんに面と向かって忠告したでしょう。「松木さん、お言葉ですが、それは小野寺先生を知らないからです。先生はそんな卑劣なことはなさらない。」 風間さんがむきになって弁解すると、松木さんはさらりといいました。「ははは…ただいろんな可能性を考えているのです。ほかの人のアリバイはどうです?」 わたしが頭に刻み込まれている関係者のアリバイをいうと、松木さんはすっかり考え込みました。「待てよ、投書にあまりこだわらないほうがいいかもしれない。電話の声は植原しか聞いていないから、それは、共犯者からの犯行の打合せじゃないかな。植原に共犯があったとすると、植原と利害が一致する人間は?」「岡崎さんです…」「二人は土地の買収問題でも、小野寺さんが共通の敵ですね。おそらく、土地を法外な値で教団に買わせるつもりだったから…しかも岡崎の事務所から現場まで歩いていける。共犯説もいい線だぞ」「でも、それまで父はどこにいたのでしょう。それがわからなければ…」 わたしと松木さんが推理に熱中しているのを、風間さんは白けきった顔で聞いていました。風間さんは、今でも父の神隠し説を信じているのでしょう。 松木さんにお礼を述べてアパートを出ると、私たち達は、今池からバスに乗りました。でも何かこのまま帰りたくない気持ちです。わたしは思い切って、風間さんに言いました。「少し歩いてみたいわ」「歩きましょう。夜桜の時期でゃないが、東山公園でおりましょうか」 風間さんもすぐ承知してくれました。 二人は東山公園でバスを下り、肩を並べて黙ってドライブウェイを歩きました。今朝は、十日ぶりで、纏(まと)まった雨が降り、草木にとってはうれしい慈雨でした。一段と緑を増した樹木が星明りに黒々と見え、春色の最初の一刷毛をサッと塗ったようでした。 いつのまにか、本部を通り越して、敬愛女子大学のグラウンドに来ていました。グラウンドの土は湿り、二人の靴の跡を深く感じました。夜の空気はまだ冷たく、わたしはスプリングコートの襟をそっと寄せました。 広い空地を隔てた向かいの丘に、本部の建物が手に取るように眺められます。そしてこのグランドより一段と高くなった地点に、敬愛女子大学のスマートで近代的な建物があり、その手前の灰色の食堂がありました。 風間さんはその食堂を見上げました。「私は、この食堂でも、働いたことがあるんですよ」「誰かに聞いたことがあるわ」「コックです。金持ちのお嬢さんがたの食べる食事を、毎日つくっていました。夜は夜で、バーのバーテン見習い、金持ちが金を湯水のように使うのを、グラスを洗いながら眺めていました。朝から晩までくたくたになるまで働き、人生をすりへらす希望のない毎日でした。」 低い胸にしみる声でした。「あなたはそんな風に見えないわ」「どうしてです?」。「擦(す)れてないからよ。世間をまるで知らない人のようです」「そうでしょうか。いろんな職業につきましたが、いつもかたくなに目を瞑(つむ)っていたせいかもしれない…自分のまわりに垣根を作ったのです。誰も垣根の中へ寄せ付けず、私も垣根の外へ出なかった。なぜだかわかりますか」「……」「うまれのせいです」「生まれ?」「私の生まれは普通の人と違います。世間じゃ私たちを、いろんなふうによんでいる……」 わたしはグランドにしゃがみ、濡れた土を指で掘り起こしました。「三七子さん、あなたも軽蔑しますか」 風間さんも並んでしゃがみました。風間さんの熱い息が、冷えた頬に快く感じます。 わたしは本部の屋根をみつめ、静かにいいました。「人間にそんな差別はないはずです」「観念的にはそうもいえます。だが、事実はどうでしょう。農業からも近代産業からも締め出され、貧困からは解放されず、まともな結婚などは夢のまた夢です」 風間さんの低い声は、夜の空気に切り付けるように響きました。「家は貧乏な靴の修繕屋でした。両親は世間の蔑視に負けない男に育てようとして、私を厳しく育てました。でも私の劣等感は、父母の愛情でも消えなかった。その両親は、戦後の食糧難時代に次々と死にました。そのころ、私は義務教育を終え、生まれを隠して、大阪のある製粉工場で働いていたんです…父母の死で、私の生まれが知れました。私は職業を変えたのです。私の性格が仲間と折り合いを悪くしたり、主人に素性が知れたり、どこまでも長続きしませんでした。名古屋へ来たのも、誰も知人のいない土地を求めたからです」「でも私、風間さんを尊敬しているわ」「…私はね。いつも学生食堂の窓から、教団に出入りする人影を、まるで別世界の人を見るように眺めていました。ある時、興味半分に小野寺先生の講演を聞いてから、私は生まれ変わったのです」 風間さんはいつになく雄弁でした。風間さんがわたしに向かってこんなに喋(しゃべ)ったのは、はじめてのことです。「その講義で、人間はみな神様の愛子(いとしご)だ、と仰った時、私はいままでの業(ごう)から解放されたのです。私は小野寺先生の姿が神様のようにみえ、思わず伏し拝んだものでした。「まァ!」「それから、教祖様に初めてご面会した時のことです。教祖様はひょいと立上られ、たこの頭を撫でて、オオ、かわいそうに、かわいそうに、苦労したなも…とおっしゃいました。私は教祖様のお膝に縋(すが)り、おいおい泣いてしまいました。「そう、そんなことがあったの…私がお仕えおする前にね。「二、三年前です。教祖様と小野寺先生が、私の劣等感を消してくださったのです」「よかったわ。じゃァ、もう生まれのことなど、気にしていないのね。」「ええ。むしろ今では、私の生まれは、私を教団に結ぶ神様の尊いお仕組みだったと考えることができます。自分の素性を教団中に発表することだってできます。でもお二人は私が素性を洩らすことを口どめされました。共産党だから入信させない、という狭い心がまだ教団にあることを、見通していられたのですね。わたしは教祖様と小野寺先生のお心が有難くてたまらない。」 わたしは、風間さんの澄んだ目から伝わる涙を、綺麗な珠玉を見るようにうっとりと見惚れていました。風間さんは、鉄の心を持って泣かない人かと思っていたのに。わたしは立ち上がり、風間さんを見下ろしました。「風間さん立って…」 背の高い風間さんが立つと、反対にわたしを見下ろすような形になりました。わたしは顔を上にそらせ、風間さんの視線をはっきりとらえました。「わたしに結婚を申し込んでくださる?」「わたしがあなたに…」 その表情に動揺の影が走りました。「わたしも一人ぼっちになりました」 かすれた声で呟くと、急に耐えようもない悲しみが込みあがり、風間さんに縋りついて、ワッと泣きました。風間さんもオーバーの上から強く私を抱きしめました。そして二人は涙まみれの頬を寄せ合ったのでした。7 今日は、三月十四日です。早いもので、あす十五日は、父の四十九日にあたります。なななぬかは中有にあっても、四十九日は三界、六道に生じる、と仏教でも説かれています。明日になれば、父の霊は天国へ舞昇り、教団の発展を見守ってくれることでしょう。 ところで、奇しき因縁とでもいうのか、三月十五日は教祖様の生誕祭でもあるのです。生誕祭が終わると、風間さんとご一緒に心ゆくまで父の冥福を祈るつもりです。その後、風間さんと二人きりで会う機会はなかったのですが、父の墓前で、私たちはどんな態度をとればよいかしら… 午後からは評議員会の開かれる予定になっていますが、本部移転案と政界進出案を生誕祭に発表するかどうかを最終的に決定する、重要な会議になるはずでした。朝拝で会った風間さんは、目を血走らせ、動かしようがない大勢に苦渋の色を浮かべていました。
 からっと晴れたよいお日和で、教祖館の内庭に箒目をつけ、如露(じょろ)で水を撒いていると、心が洗われたようにすがすがしい気持ちになるのでした。 造園部の与田さんがひょっくりと姿を見せて、問いかけました。「あんた、福王を知らんかね」「知らないわ。福王がどうかしたの」 福王というのは、植原さんが本部に寄付した大きな秋田犬で、教祖館の裏に五坪ばかりの金網を張り、番犬として飼われていたのです。わたしや風間さんには、よく懐(なつ)いていました。「餌をやろうと思ったら、いないんだよ。外から戸がはずされているし、ゆうべのうちに盗まれたかも知れんなァ」「私も探して見るわ」「御本部の中はゼーンブ、探したんだがね」 二人で手分けして福王を探すことにして、わたしは裏山方面を分担しました。裏山へ登る道はひどい道で、この冬の風雪に痛められたのか、道が半分に削られたり、大きな穴があいたりしています。「福、福…」 わたしは福王の名を呼びながら坂を登っていくと、裏山の中腹に三軒の家が並んでいました。そこからは、すなお会館の屋根の端がちょうど真下に見下せます。わたしは右側の家の枝折戸を開け、庭に廻りました。 縁先では、坂本のお爺さんが洗面器を持ち出して猫の足を丁寧に洗っていて、お部屋では、孫の久子さんがせっせとミシンを踏んでいました。 坂本のお爺さんは大の神様嫌いで評判です。奥さんが新興宗教に凝って、病気になっても医者に見せず、手遅れで死んで以来はすっかり神様につむじを曲げてしまったんですって。でもわたしにはとても好意的で、遊びに行くととても歓迎してくれます。 坂本のお爺さんは口が悪いけれど、とても情の厚い人で、父の事件があった時も親身になって私を慰めてくださったものです。神様嫌いも、結局は奥さんを愛しすぎた反動ではないかしら…「お早う。あら、猫の足など洗って…」「ああ、お早う。昔はこの辺は山ん中で静かだったがョ。みんな山削って、あんたらの宗教の家を建てたり、自動車学校を作ったり…道がきたのて」「そこで猫の足が汚れる、ってわけね。」「こいつはそのうちでも、きたにゃァとこ、よって歩くみたいでなも」 そんな愚痴をいいながら、可愛くてたまらないように、猫の耳のうしろを掻いているのでした。「ねえ、福王を知らない」「知らん、マァ掛けてちょう」 わたしは縁側に座り、足をぶらんぶらんさせ、ミシンをかけている久子さんに声をかけました。「今日は学校をさぼったの」「あら、いやだ、もう十日から春休みよ。知らなかった?」  久子さんは敬愛女子大学家政科の学生でした。「へえ、もう春休み!  大学って、休みが多くていいわね。」「そんだけど、きんのう学校で、なんだか行事があったんだァきゃェ?」 坂本のおじいさんは猫をボーンと投げると、煙管(きせる)に半分にちぎった紙巻煙草を詰めながら、いうのでした。「どうして?  何もないわよ」「そんなことあらすか。なんかあったぜ」「また、御爺さんの強情が始まった。今頃、行事なんてあるわけがないじゃない」「あったさ、あれ見てみや」 坂本のお爺さんは、自信ありげに指さすのでした。 ここからは敬愛女子大学のスマートな校舎が目と鼻の先に見えます。校舎の周囲は段々畑のように丘の傾斜を利用し、煉瓦で囲んだ土に緑の木々がゆたかに植樹されています。その真下は広い空地になっていて、坂本さんの示したのは、空地に自然につくられた溝でした。「ええきゃェ。学校のある時は食堂がある。食堂があった次の日の明けがたんなると、あの溝にカラスがまっ黒になる程、いっぴゃァになっとる。食堂で使っている水や残りもんが流れるから、それをつつくんだぎゃ。そんだで学校のにゃァ時は、正直なもんで、カラスが来ん。でも今朝、カラスがようけ来とった。つまりきんのうは、学校でなんかしらん行事があったんで、食堂をやっとったわけだぎゃ。どうだでェァ」 坂本の御爺さんは自慢そうに小鼻をぴくぴくさせるのでした。「へえ! 知らなかったわ。じゃ先生がたの宴会でもあったのかしら。うまいことやってるわ」 久子さんはミシンの手を休め、縁先に出てきました。「あの水はね。とても栄養があるのよ。学校の食堂は最新設備よ。わたし集団給食の実習で食堂に入ったことがあるわ。調理台から流し場までゼーンブステンレスよ。それにディスポーザって機械もあるのよ。」「ディスポーザーって、なァに?」「日本じゃ下水設備がまだまだでしょ。だからまだあまり利用されてないわね。お台所の余りものが出るでしょ。そんなのはディスポーザーで粉砕して、ジュースにして流しちゃうのよ。ええと何の話だっけ…」「溝の水に栄養があるってこと…」「ア、そうか。とにかくスープをとった豚の骨からお野菜の屑まで、みんなジュースにしちゃうんだから凄いわよ。カルシウムあり、ビタミンあり…カラスだって太るわよ。「フーン、便利な機械ができたものね。」 話題を久子さんにさらわれた坂本の御爺さんは、それを奪い返すように口を出すのでした。「そんだけど、なんだな。この辺りはカラスも多ェけど、野良犬は多いわ。敬愛女子大学はおなごばかりだからヨー。こりゃ交番さんの話だがヨー。きィたねェもん捨てやがるでヨー。水洗便所の汚物入れはすぐ、一ぴゃァになる。そいで交番さんが穴を掘って、そいつを埋めるそうだがェ、そうすると、夜になるとヨー、野良犬が何十匹も集まってきて、実際にほじくり返す。そしてええ気になって、吠えとる。そりゃおめえさん、眠らりゃせんが!」 坂本の御爺さんは両手を突き、犬の遠吠えを真似るのでした。「まあ、いやだ、嫌い!」 坂本のお爺さんは話に熱が入ると、段々、お品が悪くなるので、早々に退散し、福王探しに出かけました。でもとうとう、福王を見つけることができなかったのです。 この日は妙な日で、福王はいなくなるし、そのうえ評議員会の開かれる定刻二時を過ぎても植原さんの姿は現れず、家に問い合わせをすると、昨夜から帰っていないという返事。そういえば、植原さん愛用のクラウンは、昨夜から本部の駐車場に置かれていたらしい、ということになりました。 本部では大騒ぎになり、あちこち探しましたが、ついに植原さんの姿は見つかりません。評議員会も流会となり、警察にも届けられたのです。 警察では前の事件が壁に突き当っている時なので、事件の新発展と見たのか、すぐに佐野警部補が二人の刑事さんを連れて現れました。植原さんが罪の発覚を恐れて逃亡したのではないかと疑ったようです。関係者は厳しく事情を聴取されましたが、特に今西さんは根掘り葉掘り、調べられたようで、しまいには逆上して変なことを口走り、佐野警部補を困られました。「あの人は死んだヨー。わたしは竜女だから私の好きになった男はみんな死んだヨー」 植原さんは昨夜、事務所で評議員会に出す参考資料の原稿に目を通していました。九時過ぎに電話のベルが鳴り、残業して参考資料のプリントを刷っていた坂本さんがその電話を取り、植原さんに受話器を渡しています。坂本さんの証言では、お金の落ちる音がして、「植原さんにお願いします」という男の含み声が聞こえたそうです。電話を聞いて黙って出ていき、それ以後、植原さんの姿を見た者はありません。あまり遠方へ行くつもりがなかったと推定することができます。
 わたしは、会館応接室で藤原さんのことで事情を聴取されたあと、佐野警部補に聞いてみました。「父を殺した犯人は、まだ分かりませんの?」「残念だがまだです。遺族の方に申し訳ないと思っています。だがこの事件は不可解な点が多すぎますよ。」 佐野警部補は率直に言うと、手帳を取り出し見つめました。「植原さんの証言は事実か? クラウンのトランクに残されたタイヤの指紋、お守袋、また死体の傍らにあったマッチは、作られた証拠か?  ホテルにかかった電話の声の主は、誰か?  昨夜、事務所にかかった電話の声とホテルにかかった電話の声は同一人物か?植原さんの失踪は、小野寺さんの死と関係があるのか? 小野寺さんはどこから何に乗って現場へ行ったのか?  胃癌の小野寺さんが死ぬ前に、なぜ、どこで昆布を食べたか?死体に死化粧をしたのはなぜか? 誰が死化粧をしたのか? 死化粧をした者が犯人か?…いや、そんなことより前に、小野寺さんは自殺か他殺か? …未だに何一つわかっちゃいないんです。「死化粧をした化粧品はわかりましたか?」「化粧品は古い粗悪品でした。戦後のあの物資不足のころにつくられたもので、今頃お目にかかれる代物ではない。そうそう。これはある学者から聞いた受け売りですがね。…人間が化粧するようになったそもそもは、本能的目的、実用的目的、表示的目的など、整理するとこんなふうになるらしい。その一つに信仰的目的というのがあります。たとえば、口紅の赤、あれは呪術の色なんだな。つまり災害の入り口である口のまわりに塗って、災害を防ごうとしたらしい。そのほか、幸福を得るためのマジックであったり、病気や災害から身をタブーするためであったり、何かの宗教的象徴であったり…そんな人間の願望が化粧を発生させたんですね。埴輪の顔面赤化粧も、きっと呪術的意味があるのでしょうな」「すると父に死化粧をしたのは、何か信仰的な意味があるのかしら…」「そうじゃないかと思うな。そいつは小野寺さんに、何か偏執的な愛情を持っていたのかもしれない…」「愛情?…でも化粧をした人のゆがんだ主観から、死化粧に呪詛の意味を込めたのかもしれません」「なるほど、そういうことも考えられるな」8 植原さんの失踪で、本部はてんやわんやの状態でしたが、さらに混乱に輪をかけるような大事件が引き続いて勃発したのです。 ほんとにほんとに、今日三月十四日の金曜日は、教団にとって何という悪日になったことでしょう。それに金曜日というのも、何か因縁めいたことを感じるのです。 植原さんと今西さんが情事を重ねていたのが、毎週金曜日…父が失踪したのが一月二十四日の金曜日…お風呂場で嫌な話を立ち聞きしてしまい、眠れぬ一夜を明かした、わたしの悲しい誕生日が三月七日の金曜日…そして今日三月十四日もやはり金曜日…この一連の事件は、妙に金曜日がつきまとっています。こうなると、風間さんじゃないけど、父や植原さんまで、神隠しにあったんじゃないかと、信じたくなって来るのでした。  教祖様は、父の事件があったころから、いっそう耄碌(もうろく)なされ、日がな一日、うつらうつらと眠っていられる状態が続きました。 解釈は人によって違うもので、風間さんに言わせると、こうなります。「ほう。教祖様はいよいよ幽仙の境に遊んでいらっしゃるのですね。なんとも有難いことです」 わたしが風間さんのように盲目的な教祖様信仰に撤し切れないのは、信仰の至らぬせいか、教祖様のご日常をあまりにも身近に見すぎているせいでしょうか。俗に富士の山は遠くから見た方が美しいといいます。 わたしが生きている教祖様を最後に見たのは、教祖様の夕食のお膳を調理室へ取りに行く時でした。教祖様は少しお口をお開けになり、高鼾で熟睡のようすでしたが、お膳を運んで帰った時には、もう御昇天になっていたのです。その間、ほんのわずかな時間だったのですが、これこそ眠るような大往生であつたといえましょう。 教団は、それこそ上を下への大騒ぎになりました。植原さんがいないことは指揮官を欠いたと同様で、誰もがどうしていいかわからず、ただうろうろするばかりでした。岩国さんと新総務部長の吉川さんは会議室に閉じこもって善後策の協議に夢中でしたし、ほかの役員たちは、教祖館の中を走り回るばかりで、なんの役にも立ちません。教団の歴史の浅さがはしなくも人物のなさを暴露してしまったのです。 こういう時、風間さんの動きは、特に水際だっていました。すでに本部にもれた教祖様の死を、強引にご危篤に変更し、礼拝室で全員が教祖様の御回復祈願をするよう指示しました。間もなく礼拝堂からは、役員、信徒、奉仕者、修行者らの奏上する祝詞の大合唱が、スローテンポから次第にクイックテンポに変わって聞こえてくるのでした。 教祖様のお部屋には、風間さんと内事室の長谷川さん、加藤さん、わたしの四人だけになりました。風間さんは教祖様のご遺骸の前に平伏し、何事かを必死に祈念していましたが、廊下に足音が聞こえてくると、サッと立ち上がりました。 廊下には、岩国さんが、近所の清水医院の清水先生と佐野警部補を連れて立っていました。風間さんは、その前に遮るように立ちました。「お医者さんが何しに見えたのです」 風間さんが詰問調でいうと、岩国さんが呆れたような声を出しました。「なにをいっているんだ、君…教祖様がお亡くなりになったのに…」「もう一度、いってみてください。」「教祖様がお亡くなりになった。だから清水先生に、死体の検案をお願いしたんじゃないか」 風間さんは凛乎(りんこ)とした声で言い返しました。「教祖さまは御昇天ではありません」「えっ!」「お誕生祭には、必ず甦られることになっています。復活をなさるのです。そのみぎり、教祖様は、天眼、天耳、他心、宿命、神足、漏尽の六神通を具備遊ばされ、この汚辱の世の救い主として、必ず顕現なさいます。「マァマァ君…死体検案書もつくらにゃならんし、わしは忙しいんだからね。そのことはあとで聞かせてくれんかね。」 清水先生が気短そうにいいました。教団では病気は殆ど掌療治でなおしているので、かかりつけの医者というものがありません。清水先生も近所にいながら、この教団から患者をとることができません。一種の商売敵だし、教団に好感の持てるわけがないのです。「死体検案書など必要ありません。教祖様は仮眠していらっしゃるだけです。」 風間さんが頑固に主張すると、佐野警部補は取りなすようにいいました。「どうだろう。では教祖様に面会させてもらえませんか」 するとすぐに、風間さんのにべもない返事が跳ね返ってきました。「やはりお断りします。浅はかな人間心で物事を考えないでほしい。教祖様の御神霊は、三界諸天を経回り、尊いご修行中なのです。教祖様のご修行を妨げるような行為は、どうぞなさらないでください。お願いします。」 風間さんの目は血走り、その表情は冴えきっていました。純粋に教祖信仰を突き詰めていけば、教祖様の不死の信念まで到達しなければ、本当でないのかもしれません。でも現実には、心臓の止まった教祖様が一夜明けて蘇生なさる、と信じるなど、正気の沙汰ではないのです。「風間君、君には私たちの入室を拒む権利はない。のきなさい」 岩国さんが威嚇するように詰め寄りましたが、風間さんは少しもたじろがず、平然としていい返しました。「のきません。教祖様のご命令だからです。私の心耳には、教祖様の御命令がはっきりと聞こえます。ネエ、教祖様の御生誕の日こそ、いよいよ待ちに待った、教団の世に出る時ですよ。明日の生誕祭は盛大に執行しましょう。どうか万端の準備をお願いしておきますよ」「岩国さん、ちょっと…」 清水先生が岩国さんと佐野警部補に耳打ちすると、足音荒く去っていきました。
 風間さんが縁側から外へ出て行き、間もなく戻ってきた時には、手に袱紗袋を持っていました。 風間さんは長谷川さんと加藤さんを退出させ、障子をピタッと締めきりました。そしして教祖様のご遺骸の足元に坐り、一心不乱に祝詞を奏上し始めました。わたしも風間さんについて祈るうち、次第に復活の奇跡が起こるような気がして来るのでした。 風間さんは頭を上げると、枕許までにじりより、ご遺骸の顔にかかった白布をとると、厳しい表情で言いました。「どうか、お顔を拭いてあげて下さい」 わたしは廊下の奥の洗面所でタオルを絞ると、教祖様の氷のように冷たいお肌を、丹念に拭きました。 いくら苦しまずに御昇天になったとはいえ、教祖様のお顔に神々しさは露もなく、平凡な、ちっちゃな、乾葡萄のような老人の死顔であったことが、かえって私の悲しみをさそいます。でもこの切迫した空気は、感傷に浸る余裕など、少しもないのでした。 風間さんが袱紗袋を開くと、中から古ぼけた化粧品が現われました。 風間さんは頬紅の丸い容器を開けると、ちびた刷毛に丹念に紅をつけ、教祖様のお顔の頬を赤く染め、次に黒ずんだ目蓋を赤くぼかし始めました。次に変色したパフで粉化粧をし、乾いた唇にちびた棒紅を塗り、大きな鼈甲の櫛で静かに灰色の髪をくしけずるのでした。 教祖様のお顔の変貌を見ながら、わたしは、心臓の止まりそうな驚きに身動きもできずにいました。教祖様の死顔と父の死顔が、あまりにも酷似しているのです。そしてそれが、同じ化粧法のせいであることは、もはや間違いないのです。 最近のお化粧は、目蓋を青くすることがあっても、赤くすることはありません。七五三の日、母がわたしの目蓋に薄紅を塗ってくれた、遠い記憶があるのです。昔はそんな化粧法もあったのでしょう。 父に死化粧をしたのは、風間さんだった! わたしはすっかり虚脱していました。風間さんは化粧を終わると、惚れ惚れした眼で教祖様の彩色されたお顔を眺めるのでした。 わたしは、断崖から飛び降りるような気持ちでいいました。「父の死化粧をしたのは、あなただったのね」 風間さんは教祖様のお顔を拭きもせず、眺めたまま、うっとりとした声でいうのでした。「そうです。懐中電灯の光を頼りに、かじかんだ手で、お化粧をしてあげました。この化粧品はね、母の大事な形見です。これを見る度、私たち一家の貧窮を思い出すのですよ。小野寺先生は、悪魔除けの美しい化粧をなさって、霊界へ旅立っていかれたのです。」 わたしは喘ぎながら、風間さんの空虚な目の光を見つめるばかりでした。 そして、「あなたが父を殺したの?」という質問をどうしても続けることはできなかったのです。 不意にガラッと障子があき、廊下には四人の白衣を着た男たちのうしろに、岩国さんと吉川さんが立っていました。「この男です…」 岩国さんが風間さんを指さすと、白衣の男達はのしかかるようにして、風間さんの腕をがっしり掴みました。そして風間さんの手から櫛がポロリと落ちました。「何をするんだ!」  風間さんはけわしい声で叫びました。「いいから大人しくして。サァサァ…」 子供をあやすようにして、白衣の男たちは踠く風間さんを担ぎ上げ、部屋から運び出しました。私は糸で曳かれるようについて行き、風間さんが門の外に待っている車に押し込められるのを見届けました。風間さんは精神病院へ連れていかれたのです。
 わたしは、車を見送っている人波の中に、佐野警部補の姿を見つけ近寄りました。佐野警部補もわたしを見つけ、白い歯を見せました。私はゆっくりいいました。「父に死化粧した人が分かりました」「何ですって!」 佐野警部補は目をむき出して叫びました。わたしがありのままを語ると、佐野警部補は走り去った車を思わず追いかける素振りを見せるのでした。でも車の形など、とうに見えなくなっているのに気付き、苦笑するのでした。佐野警部補はこぶしで後頭部を叩き、頸を左右にふりました。「どうも分からん。風間さんのアリバイには寸分の隙もない。しかも運転ができない。しかも動機がない。だから殺すわけがない。まるでないないづくしだ。」「そうです。風間さんが父を殺すはずは、絶対にありません。でも風間さんは父に死化粧をしています。風間さんは父の死を知っていたのです。なぜでしょう?」「風間さんは小野寺さんの殺害犯人を知っていた。だがその犯人は、風間さんが秘密にしなければならない大事な人。…それは誰だろう?」 佐野警部補は、口の中でぶつぶつ呟いていましたが、急にわたしの顔を穴のあくほど、見つめました。「あんたが犯人か?」 佐野警部補はそういって、わたしを見詰めている目に、次第に疑惑の光をたたえるのでした。わたしは呆れて、ポカンと口を開いていました。佐野警部補は急に声を上げて笑い出しました。「私もどうかしているな。こんなかわいいお嬢さんを犯人だなんて…風間さんが一番だいじな人は誰でしょうね?」「もちろん教祖様、次には父です。」「まさか、あの老人の教祖さんが犯人とは考えられないし…ア、そうか」「なんでしょう」 佐野警部補の顔は、生気に満ちた表情を取り戻しました。「とにかく、植原さんの行方を突き止めることだな」「福王もいなくなっています」「なんですって?」「本部で飼っている犬です。昨夜から姿が見えません。血統書付の秋田犬で、植原さんの寄付した犬です。植原さんの失踪と何か関係ないかしら?」「そうか、知らなかった! もしかすると、植原さんは脅迫者の呼び出しで、福王を番犬に連れていったのかもしれん。この近くに人間と犬の隠れる場所はないだろうか?」「あります。ありますわ」「どこです。それは?」「敬愛女子大学の食堂です。あそこなら、夜は人に見とがめられずに行くことができます」「大学はいま春休みです。それに食堂の棟は独立していて、人っ子ひとりいないはずだわ。ア、そうか。昨日は食堂が開いていたんだったっけ。」「春休みに食堂の開店することがあるのですか」 わたしが坂本さんの推理を話すと、佐野警部補は、険しい形相で、じっと空間を凝視しました。「風間さんは、そういえば、敬愛女子大学のコックをしていたことがありましたね」「はい…」「三七子さん、あなたは大変なことを言っているのです」 佐野警部補がうめくような声を出しました。 わたしの四股は震えが止まらなくなりました。佐野警部補と私は、いま同じ想像をしているのでしょうか。植原さんがディスポーザーでジュースにされ、すでにカラスについばまれたという、スリラー映画のような場面。 そして、私の脳裏の字幕には、こんな文字が回転するのでした…教徒、凶徒、狂徒9「諦めてください。どんなに騒いでも喚いても、ここでは聞こえない。休み中の学校食堂ほど恰好な犯罪場所はないのです。いいですか。休み中は誰一人、この山の中の学校まで近寄るもの者はない。用務員さえ、ここまで廻っては来ないのです。 睡眠薬で死んだように眠っている福王に、実験台になって貰います。包丁には自信がある。呻き声一つ立てさせません。だが懐中電灯の光では仕事がやりにくいな。 さて、血が吹き飛ばないように、ビニールの風呂敷で包んでと…。 どうです。ちょっと痙攣しただけで、もう死んでしまいました。あなたも苦しまぬように霊界に行かせてあげます… 毛皮は、ディスポーザの歯に巻きついてむりだな。こいつはあとで穴に埋めることにしよう。内臓は簡単に砕けるな…植原さん、これは福王の大腿骨です。まるで人間の足のように大きいですね。なんという馬鹿でかい音を立てるのだろう。骨の端をぐっと押さえていないと、衝撃で飛び出してくる。ァ、機械が止まった…そうそう、ディスポーザって奴は、五分以上は続けてかけられないんだっけ。復帰ボタンはこれだな。機械の調子は上々です。 疲れた! 少し機械を休ませよう。何も慌てることはない。だが、植原さんのように太っていると、完全に地上から抹消するのは時間がかかりましょうね。明日の晩は徹夜だな」「植原さん、少し話しましょうか。小野寺先生が死なれたことは、さぞ意外だったでしょうね。霊界への土産話に真相を話してあげましょう。小野寺先生の死は自殺です。オヤ、驚きましたね。「私は教祖さまからご暗示を受けました。植原さんは教団にかかる黒雲で、私にその黒雲を払う使命がある…事実、あなたが教団の発展を阻害する毒虫であることは、松木さんの投書でも明らかでした。 いいですか、あなたの罪状を教えてあげましょうか。あなたは、神聖な教団を職業的教団に堕落させようとした。本部移転問題にかこつけて、私利私欲を図ろうとした。ある政治家に教団の票を売りつけようとした。その政治家は、教団の教義とは反対の、再軍備を標ぼうする男でしたね。しかも教団の重要ポストにいながら、布教員と情事を重ねていた。そればかりか、教主になろうという野心を持って、本部内に黒い勢力を伸ばしていった。神を冒涜するのも甚だしい、と思わなかったのですか。 私は評議員会でも植原さんの野望をひしごうとして力一杯戦いましたが、孤軍奮闘の形でついに破れました。今あげたあなたの悪業を暴露しようと思ったが、証拠を残すようなあなたではない。またそんな手段で揺るがぬほど、あなたは本部内に勢力を植え付けていた。それも金の力です。この世の中で一番卑しい金の力で、一番尊いすなお教の教主の地位を得ようとしたのです。あなたは金を幹部に掴ませて、代わりに勢力を得ようとした。安い投資です… 私一人の力で、植原さんをどうして追い払ったものか、…思い余って、小野寺先生に何もかも打ち明けたのです。小野寺先生は、初めて胃癌にかかって死期が迫っていることを、私に洩らされた。そして吐息をついていわれたのですよ。 私も植原君が改心せぬ限り、教団が心配で、死ぬに死ねない。この老朽した体がお役に立てれば…。 そして真剣に考えこまれたのです。あまり遅くなるので帰ろうとすると、小野寺先生は顔面を蒼白にして仰った。 風間君。私の命を役にたてる方法がひとつだけある。私の嫌いな卑劣なることだが、教団のためにあえて卑劣漢になるよ…。 それは小野寺先生が自殺して、それを他殺と見せかけ、植原さんに嫌疑を向けるようにすることでした。私たちは頭をひねって考えました。そしてあなたを陥れる脚本をつくりあげたのです。それには共犯者が必要だった。私がその共犯者でした。 植原さんと今西さんがいつも金曜日にプリンスホテルで逢引していることは、松木さんの投書で知り、その日を犯行日に選んだのです。わたしは幾度かあなた方のあとをつけ、その事実を確認していたのです。 小野寺先生はあらかじめ立てた筋書どおりに行動されたはずです。一月二十四日。小野寺先生はご本部を出ると裏山へ登り、そこで簡単な変装をされたのです。色眼鏡、帽子…知った人に会わなければ、それで十分です。 裏山に隠してあったトランクの中には、酒の四合瓶、睡眠薬などが入れてありました。そのトランクの中に祭服を包んだ風呂敷を入れ、トランクを下げてドライブウェイを歩いて東山公園に出られたのです。この季節のドライブウェイを歩くと、一台の車にだって出会いません。東山公園からタクシーを拾い、仲田で下り、プリンスホテルへ行き、ホテルの横の空き地に植原さんのクラウンを発見したはずです。 私はきっちり八時に座談会を終ると、トイレに行くふりをして、宣教部室に入りました。そこからプリンスホテルに電話し、植原さんを呼び出しましたね。あなたのうろたえた声が、今でもはっきり耳に残っている。電話が終わると講師控室へ行き、荒療治の時間までゆっくり休んだものです。 小野寺先生は人目のないのを見澄ましピカピカ磨き立てたあなたのクラウンに潜りこみました。そこにお守りを置き、指紋を残し、あとは窮屈な姿勢でちぢこまっていれば、あなたが緑ヶ丘分譲地まで運んでくれたのです。あの道は凹凸が激しく、あなたの乱暴な運転では、さぞ、小野寺先生のお体が痛かったろうとおいたわしくてなりません。植原さんが車をおりて、脅迫者を探しているうちに、小野寺先生はトランクから出て、木葉の茂みに隠れた。 あなたが待ちあぐねて帰った後、小野寺先生はゆうゆうと祭服を着、お神酒と最後のご面会のとき教祖さまより特別にいただいたお下がりの昆布を供え、ご本部に向かって遥拝を終ると、一人で直会(なおらい)をはじめられた。 お神酒に睡眠薬を混入し、昆布をつまみに、満ち足りた酒盛りをされたのです。酒盛りは一人でも、周囲には八百万の神が集まり、心はさぞお賑やかだったでしょう。私には、その光景が、手に取るようにみえます。羨ましいほど、満ち足りた自殺でした。 小野寺先生にはやがて睡魔が襲い、枯れ木のように痩せ衰えた体を横たえられたのです。酒が体内に入ると血管を膨張させ、凍死を早めるといいます。あの異常な寒さでは、死が衰弱した体を捕えるのに、さほど時間がかからなかったでしょう。 私は明け方の三時に起き、そっと職員寮を抜け出し、途中で車を拾い、自衛隊の守山連隊近くで車を下りました。三十分ほど暗い裏道を歩くと、緑ヶ丘分譲地に出ました。今、あなたを照らしている懐中電灯の光が、予定の場所に小野寺先生の死体を照らし出してくれたのです。 私が小野寺先生の顔に死化粧をしたのは、予定の筋書になかったことです。自殺は罪悪だと教えられている。大義のためとは言え、自殺された小野寺先生の霊界の旅は、決して安易なやさしいものじゃないでしょう。寮のベッドに寝て時間を待っていた私は、小野寺先生の顔に悪霊除けの化粧をすることに気づいたのです。 懐中電灯を木の枝にかけ、かじかんだ手で小野寺先生の顔に化粧し、手を胸の位置にくみ、乱れた姿勢を直しました。あとは、小野寺先生の残された着替えの衣類、酒瓶などを詰めると、プリンスホテルのマッチを捨てました。 そのマッチは、あなたの机の引き出しから探したものです。こんなマッチを机の引き出しに忘れておくなど、あなたとしては不用意でしたね。私はハンケチでマッチをつつんでおいたんです。 私は車を乗り継いで今池まで行き、今池から地下鉄の一番電車で東山公園まで行きました。ここから歩いて帰っても、朝拝には十分間に合ったのです。 私は死体の発見が早かれと祈りました。一月二十八日、小野寺先生の死体はやっと発見されました。警察の疑惑があなたに向けられたのは予想通りでしたが、思惑のはずれたのは、佐野警部補が慎重すぎたことです。その日の夕方には、あなたは白々しい顔をして、本部に帰ってきましたね。しかも小野寺先生という目の上のこぶがなくなって、ますます勢力を伸ばし、教祖様の御意図に反する方針をつぎつぎと打ち出したのです。 あなたと今西さんの情事は秘密を保たれましたね。だが私と三七子さんは知っていた。それを暴露することは、あなたをおびき寄せる口実のために残しておいたのです。三七子さんにも固く口止めし、じっし情勢を見守ることにしました。だが、小野寺先生の死を犬死にすることはできません。私がどんなに切歯扼腕したか、あなたには想像できますか」
「サァ、仕事にかかろう。この福王の頭蓋だけは斧で割らないと、ディスポーザーの穴に入らないな。…エイ…ア、脳漿が飛び出した。…私の部落では、牛や豚の密殺が毎日のようにあったから、小遣い稼ぎによく手伝ったものですよ。 アア、あなたを殺したくない。だが、殺さなければならない。わかってくれますね。あなたがいると、教団は蝕まれるのです。すなお教団が純粋な教団でなければ、世界に純粋な平和は招来されないのです。どうか諦めて死んでください。決して苦しい思いをさせずに殺してあげます。教祖様から黒雲を払う役目をいただいているのです。「私はあなたを殺すことに決意すると、敬愛女子大学の合鍵をつくり、学校の春休みを待ちました。 今夜、職員寮を抜け出すと、スーパーマーケットの傍の公衆電話から電話しましたね。ハンカチで口を押えてしゃべりました。 この前は手違いがあって会えなかったが、今西さんとの情事が知られたくなければ、誰にもいわずに、いますぐ敬愛女子大学の食堂にただ一人来い。食堂の鍵はかかってないから、そのまま入るのだ。決して乱暴はしない。だが危険だと思ったら、本部の犬を番犬がわりに連れてきてもよい…。 あなたは感心に指示通りきましたね。私は食堂の陰に隠れていて、おどおどと入ってきたあなたに、すりこ木の一発をくれた。あなたが倒れたというのに、番犬のはずの福王は、私にすりよって来ましたよ。福王は私に懐いていましたからね。福王は私の用意した睡眠薬入りの肉にむしゃぶりつきました。 かわいそうな福王! だが、お蔭で実験は完全に成功したよ。明日の晩は、植原さんの体を文字通り抹殺してあげる。それまで、この眠り薬で眠っていただこう。さあ、飲め、飲め、飲むんだ。」
 植原さんの命が助かったことは、不幸中の幸いでした。もっと恐ろしいことまで想像していたのですもの…さっそく、その足で私と佐野警部補は、敬愛女子大学の食堂に行きました。本校の用務員さんに立ち会ってもらって中へ入り、植原さんを発見したのです。 植原さんは鍵のかかった食物倉庫の中に、がんじがらめに縛られて転がされていました。豊かだった頬はたった一日で落ち窪み、錯乱した眼で私たちを凝視し、助かったと知ると、顔をくしゃくしゃに歪め、号泣されたのです。植原さんの体は、すぐに清水病院に運ばれましたが、ショックが重くて、回復までには時間がかかることでしょう。 ほんとなら昨日は教祖様の生誕祭で、教団あげて歓喜にわいたでしょうのに。急に教祖様の告別式に変更されました。新聞が興味本位に書き立てたせいか、野次馬も含めた大層な賑わいで、しめやかさとは縁遠い、雑然とした雰囲気でした。でも教祖様の復活を信じている人が意外に多いのには、驚かされました。そして奇跡が実現しないと知った時の、その人たちのしらじらしい顔、でも信仰とはそんなものじゃないのに…。
「どうして私を監禁するんだ! 私は気違いじゃない! これはきっと、教祖様の復活を妨害しようとする、悪魔の仕組みだ! 悪魔の謀略になど、かかるものか! きっとこのおりから出て見せる…」「植原は、まだ昏睡しているか、あるいは眠りからさめ、忍び寄る死の影に怯えているか。教祖様の御昇天で、抹殺計画が齟齬をきたした。私は教団にとってかけがえのない人間だ。私が獄舎に繋がれるわけにはいかない。なんとしても、此処を出て、植原をディスポーザで流し、犯罪の痕跡を消さねば、完全犯罪は成立しない。」「精神病医がにたにたと笑い、本当に教祖の復活を信じるか、と聞くので、私は滔々(とうとう)と弁じたててやった。医者はふんふんと聞いていた。わかってくれたかと思ったら、こんなところへ閉じ込めてしまったて。奇跡を信じることのできない貧しい心の人間ばかりだ。」「俗物には俗言…今度、医者が質問したら、先の言は取り消そう。確かに教祖様の肉体は土の中で腐敗し、ふたたび生命を蘇らすことはありません、と訂正しよう。出るためには嘘も方便だ…オーイ、だれか来てくれ。話がある…サァ、医者を呼んでください。私の正気を証明してみせる。なに煩い? 煩い、煩いって? …アア、あんたは、気が狂っているよ…」10 お父さま、早いものでもう四月になりましたね。お墓参りに来たこの三七子が、おわかりになりますか。 お父様はなんて愚かなことをなさったの。お父様の命をかけられた教団は、もう崩壊し始めています。崩壊するのは、その教団のあり方が、神様の御意図にそわないからではないでしょうか。正しい教団なら、逆境に立てばたつほど、強くなるはずです。崩壊のきざしは早くも教祖様の告別式に現われていました。教団の幹部の人たちは、どなたも責任のある位置から逃れようとしている様子ですが、ありありとみえるのです。参拝者の数も目に見えて減っています。お父様は、こんなはかない教団に、命を賭けられたのですね。しかもお父様のもっとも憎んでおられた卑劣な行為を、自分で冒してまでも…。 お父様や風間さんの間違いは、神様と直結なさろうとせず、教祖様を信仰の対象として選ばれたことじゃないかしら。教祖様自身も、立教当時の真摯な気持ちを、教団が発展するにつれて知らず知らずに忘れてしまわれたのです。神の僕として謙虚であられた教祖様が、いつか自分自身を神の生まれ変わりと錯覚されるようになったのです。そして教祖様をそのように錯覚させたのは、神様のように祭りあげたお父様や風間さんの責任だと思います。 娘のわたしが、こんな生意気な批判をしてごめんなさい。でもなんだか、この二、三日、信仰というものに、急に目が開けてきた気がするのです。 でもお父様、ご安心ください。私はすなお教の信仰を捨てません。今では、お父様の信仰には理性が必要だということを知りました。 私の理性は教えます。この世の造物主である神様を信じさえすればよいのです。そして教祖様の理想であった、神のもとに人種の差別も、階級の差別も、貧富の差別もない、澄み切った平和な世界の招来を、すなおな心で祈り続けます。 力弱いわたしにできることといえば、わたしが世界のよき市民のひとりとなる努力をすることだけですもの… 風間さんと二人でお墓に参り、お父様の霊前で嬉しいご報告ができれば、どんなによかったでしょう。でも風間さんは、精神病院に無理やりに入院させられています。お医者さんがどう診断されるか知りませんが、風間さんにとって、絶対的な存在だった教祖様が復活なさらなかったことを知ると、催眠術を解かれでもした人のように、案外、けろっと平常に戻られるような気がします。そして信仰まで捨ててしまうのではないかしら…あのひとの性格に、そんな脆さがみえるようになりました。 信仰を得て生まれて初めて生きがいを感じた風間さんが、信仰を失ったらどうなるか。そんな風間さんに必要なのは、このわたしです。わたしは風間さんを愛しています。でも精神病院を出た、そして犯罪者の風間さんの良き伴侶として、一生ついていく勇気があるかどうか、お父様のお墓の前で、よく考えてみるつもりです。どうすればよいか、どうか、お父様も教えてください。 明日から就職口を探します。教団は、世間とはかけ離れた世界でした。明日は、高校を出てからすぐ、教団の本部ばかりにいた三七子が、初めて一人、世間に出る日です。私は挫けない覚悟です。